ひとりごと
〜2004.August〜

「青島、正しいことをしたければ、偉くなれ」

(本広克行「踊る大捜査線」より)




8.19 thu.

茶有の奇矯なる帰京劇。
いや、地元福岡を離れてもう7年目(!)になるけど、
こんなてんやわんやの移動は初めてでした。






帰京日当日。
その日、私は体調を崩して自宅療養中の友人の見舞いに行ってから
その足で福岡空港へ。飛行機で東京に戻ることにしていました。
飛行機は21:30福岡発の最終便(一番安い)だったので、
それでも余裕のスケジュール…のはずだったのです。






午前9時半に自宅を出発してから約1時間。
最寄駅である久留米駅に到着(最寄駅まで1時間って…(笑)。
ここから山間を縫うように走るローカル線を乗り継いで、
友人の家へ向かいます。



この路線、地元民以外は登山客くらいしか使わないような
寂れた路線とあって、ローカル列車好きな茶有のハートをわしづかみ。
見舞いに行ったんだか、ローカル線乗り行ったんだか(笑)。






ところが、久留米を出て約1時間後。
駅員もいない、客も私しかいない山中のとある駅で接続待ちをしていた私は、
久留米駅である落し物をしていたことに気づきます。
それほど大したものでもなかったのですが、一応、久留米駅に電話をしてみると、
誰かが拾って届けてくださったらしく、駅で保管してあるとのこと。



とはいえ、何せここは一日数往復しかない山の中。すぐに引き返すこともできません。
ところが、事情を説明すると「じゃあお帰りのときでいいですよ」との返事が。
せっかくの親切に「いや、もう久留米には帰らないんですけど…」とも言えません。



調べてみると、別ルートの快速を利用すれば、お見舞後に一回久留米に戻っても、
21:30の飛行機には間に合うことが判明。
結局、遠回りにはなるけれど、帰りは久留米経由で福岡空港へ向かうことにします。






さて、18時頃、すっかり長話をしてしまった私は、友人宅を後にします。
往路とは別のローカル線+鹿児島本線快速を使って、19:48に久留米に到着。
お礼を言って落し物を受け取り、時刻表を調べると、20:10の特急に乗れば
20:48に空港着とのこと。空港でおみやげ買うくらいの余裕はありそうです。






ところが。
ホームで特急電車を待っていた私に、いきなり構内アナウンスが。



「人身事故の発生により、この後の特急は当駅で運転を取りやめます」



そして目の前には、今にも発車しようとする普通列車が!






数秒の躊躇の後、私はその普通列車に飛び乗ります。
だって、特急が運転休止になったんであれば、普通で向かうしかないやんけ、
という私の判断は間違っていたのか?






事故の影響でダイヤは乱れに乱れており、一駅進んでは停車し…の繰り返し。
ある程度余裕のあった飛行機の時間も、だんだん厳しい状態に追い込まれてきました。



そして20:30頃、とうとうまったく動かなくなってしまった普通列車の車内に
トドメのアナウンスが響き渡ります。






「この駅で特急列車の通過待ちをします」






…は?






運転休止やなかったんかい!!






そして横を時速135kmで通過していく特急列車。
しかも3本。



つまり運転休止になったのは、最初に私が乗ろうとしていた1本だけで、
他の特急は遅れながらもすべて動いていたのです。
もちろん、そんなこと駅でも、車内でも、一切アナウンスはありません。



そして、特急が遅れれば、普通列車はもっと遅れるのがこの世の常。
かくして、私の乗った普通列車は、通過待ちに20分もの時間を費やし、
飛行機も限りなく絶望的になってしまいました。






とりあえず、列車の中から航空会社に電話。
事情を説明すると「21:25までは待つ。とにかく急いできてくれ」とのこと。
ようやくたどり着いたJR博多駅から地下鉄に乗り換え、約5分。
ついに福岡空港駅に到着。



そして地下鉄のドアが開くと同時に、ANAカウンターへ全力疾走!
いや、ホント久しぶりでした。あんな全力で走ったのは(笑)。
で、カウンターに滑り込み、息も絶え絶えに電話で話したことを伝えます。






「申し訳ございませんが、この便は既に出発いたしました」






電光掲示板を見上げると、時計は21時27分を指していました。
ああ無情…。



まあ、今回はJRの事故が原因なので、翌日の朝イチ便に振り替えてくれるとのこと。
ホテル代は出ませんが、もう一晩、屋台でラーメン食べれるからいっか、と
プラスに考えることにしました。









で、明けて翌日。ホテルの窓から外を見ると、見事なまでの暴風雨。
台風15号が、直撃こそ免れたものの、まさにこの時間、福岡に最接近していたのでした。



にも関わらず、空港の搭乗手続きは淡々と進み、定刻通りに機内へとご案内。
地上に止まっている段階で、強い風を受けて、既に機体が揺れている状態でした。
え、いや、ちょっと待って、と言う間もなく。
飛行機は滑走路へ。



あのー、ホントにこの状況で飛ぶんすか・・・。



不安げな乗客を尻目に、この日朝イチのANA240便羽田行は離陸を強行。
そして案の定、機体は離陸直後からいきなり乱高下。



ほんっと、揺れるわ揺れるわ。
いや、ここまでくると「揺れる」ではないですね。マジで昇るわ落ちるわ。
子どもが多かった747の機内は、阿鼻叫喚の渦!
私もいいかげん飛行機には慣れているつもりなのですが、さすがに怖かった。
素で身体が固まりました。ジェットコースターに乗ってるときのように。






1時間半後、命からがら何とか無事に羽田に着陸。
到着後、ボードを見ると、福岡からの到着便で定刻に着いたのは
私が乗ったANA便のみでした。私の直後に続くはずだった
JALやスカイマーク便は、軒並み「天候不良により大幅遅れ」



あー。



それって、要するに実験台にされたってコトですよね。



…恐るべし、福岡航空交通管制部。









さて、今日からまた東京生活です。
勉強しないと、怒られる。
バイトをしないと、ひからびる(笑)。











8.15 sun.

寄生虫のごとく帰省中。
家でならゆっくり本読めるかと思いきや、飲み会+家庭サービスで
とてもそんなこと出来るような状態ではなく。




気が付けば、夏休みももう4分の1が終了です。
課題は山積み。バイトも山積み。









さて、実家に帰ってくると、普段なかなか会う機会のないような人たちと
話をすることができて、それが何よりの楽しみだったりします。







私にとって地元での中学校生活は、今でも時々夢に出てきてうなされるほど
ロクでもないもので(2003年10月8日のニッキ参照)、その頃から続く友人は非常に
限られているのですが、今回は久し振りに数少ない中学時代の友人の一人と、
同じく中学時代の恩師に会って酒を酌み交わしてきました。




友人は高校卒業後、九州電力に入社。現場の第一線で働いてます。
一緒に飲んだ先生も(もうそれなりの歳ではある…はずなのですが。失礼)、
「自分は最後まで現場を離れるつもりはない」と断言。




こういう人たちと話していると、自分はどうしても少なからず
劣等感を抱いてしまいます。どれだけ偏差値の高い(と言われている)大学に
行こうと、研究と称して偉そうな話をバラ撒こうと、こうして現場で
汗流して働いている人たちには、逆立ちしてもかなわないと
思ってしまうのです。







こうしたいわゆる「労働者」であり「生活者」である人たちを、
高いところから見下ろすような視点を捨てない限り、学会は
象牙の塔から抜け出せないでしょう。
でも、そもそも象牙の塔から抜け出そうという意思そのものが、
果たして今の学会にはあるのか。




人文系の研究なんてあくまで研究者の自己満足に過ぎない、というのは
十分に分かっているのですが、そこで開き直って研究成果を社会に還元する
努力を怠るのは、そもそも「社会人」としていかがなものか、と。




研究の成果を何らかの形で社会に還元するのは研究者としての
義務だと思うし、今日も現場で走り回っている「生活者」に
何らかの形で役に立てないのならば、研究をする意味なんて
ないと思ってしまいます。







わざわざ東京から福岡まで帰ってきて、年甲斐もなく地元の子供たちと
キャンプなんざしてはしゃぎまわっているのも、そんな問題関心が
あるからなのです。たぶん。










考えてみれば、これまでの自分の人生、エリート街道の隣の旧街道を
徒歩で歩くような、常に一本はずれたアウトローだったような気がする。




中学校から一転、私立の金持ち進学校に入って、でもそのエリート教育に
どうしても馴染めず、奴ら(中学から内部進学で上がってきた自称「エリート」)を
見返すことだけを目標に、ひたすら部活(放送部=文化系アウトローの代名詞!)に
打ち込んでた3年間。




そして入った筑波大での4年間は楽しかったけれど、
あそこは大学そのものがアウトローだし。
そもそも本当にエリート目指そうなんて人は、
あんな秘境の大学行きません!(笑)。




そして会社辞めて入った大学院が、最高学府のアウトロー研究科。
何といっても校舎がプレハブ小屋。コレ最強(笑)。




そんなところでポピュラー文化の研究なんざしつつ、
返す刀で福岡の山村の子供たちにケータイ持たせて遊んだり。
これをアウトローと呼ばずして何と呼ぶ(笑)。










良くも悪くも自分の原点は「反エリーティシズム」にあったなと思うし、
これからもこの気持ちだけは忘れたくはないなと思うのです。




そして、学会というエリートの中心でアウトローを叫ぶような、
学問を生活者の手に取り戻し、実社会に還元できるような、
そんな研究者になりたいと切に思いつつ、こうして泣きながら
洋書の壁に挑んでいるわけです。










そんな話をしていたら、九電の友人がひとこと。






「俺たちは現場で頑張る。茶有は上に行け!」






…私は室井管理官ですか(笑)。






でも、なるほど、そういう見方もあるわけね…と、ちょっと感心。
確かに室井さん、東北大卒のキャリア官僚だし。
(キャリア官僚と較べると「研究者」の肩書きはあまりに弱い気もするけど)






もいちど「踊る大捜査線」見直してみようかなと思いました。
青島ではなく、室井さんの視点で。









今日は8月15日。
靖国での再会を信じ、祖国のために散っていった
英霊たちに、心からの敬意を表しつつ。









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