ひとりごと
〜2003.October〜

昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。
然ば即ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通論常談なる可し。

福沢諭吉「文明論之概略」より



10.29 wed.

「潮出版」「第三文明社」「鳳書院」と聞いて何のことか
すぐに分かるアナタは、電車の中吊り広告マニアです。



…ウソです(笑)。
記憶に残っているかは別にして、電車に乗ったことのある人であれば、
おそらく一度は見ているであろうくらい、この三社の広告は
たくさん吊られています。



注意深く見ている人は「あー、あの『週刊新潮』嫌いの出版社ね」と
気付くことでしょう。
そうです。毎月よくもネタが尽きないものだ、とばかりに
週刊新潮を糾弾しつづける、あの出版社です。


たとえば、雑誌『潮』10月号の中吊り広告。

「一年間で16件敗訴――新潮社が問われる社会的責任」



同じく『灯台』(第三文明社の教育雑誌)11月号。

「反人権雑誌の罪――1年に17件もの敗訴で問われる新潮メディアの責任」


…なるほど。この1ヶ月の間にまた1件敗訴した訳ですな。極悪出版社は。
ただ、17件同時に訴えてる時点で、私にはむしろ潮出版らの方が
新潮に対していじめか嫌がらせやってるようにしか見えないのですが。


ちなみに、これらの広告、モノによっては自分の雑誌名より
「週刊新潮」の字の方が大きかったりします。
どっちの広告だよ・・・とゆーツッコミはNGなんかいな(笑)。






さて、これらの雑誌、毎号(ほぼ)必ず池田大作氏の対談が掲載されている
ことからも分かるように、創価学会系の出版社から発売されています。
なぜ、創価学会はここまで新潮を毛嫌いしているのでしょうか。
調べてみると、なかなか面白い歴史が見えてきます。






昭和44年、政治評論家・藤原弘達氏が一冊の本を発売します。タイトルは

「この日本をどうするか――創価学会を斬る」



著者はこの中で「創価学会・公明党は自民党との連立政権を狙っている」と、
恐ろしいほどの洞察力で将来を予測。近い将来訪れるであろうその体制を、
ファッショ政治として厳しく批判します。



これに対し、学会は徹底した出版妨害運動を展開します。
田中角栄(当時幹事長)の圧力や、創価学会系の売れ筋の本の書店からの
引き揚げ圧力と、かなり露骨な妨害が行われた(と言われている)結果、
大手書籍流通会社は軒並み取扱いを拒否。事態は政治問題へと発展します。






昭和51年。今度は雑誌「月刊ペン」が、池田大作と創価学会を非難する
連続特集を掲載します。
ちなみに、連載時のタイトルの一部を挙げてみると…

「極悪の大罪犯す創価学会の実相――戸田・大本仏に
勝るとも劣らない漁色家・隠し財産家“池田大作・本仏”」

と、かなり過激な内容。



池田大作の売春疑惑まで飛び出したこの報道に、学会は著者を提訴します。
しかしここで、池田氏の裁判への出廷だけは避けたい学会側は、またもや
政治サイドへ圧力をかけ(たと言われてい)るのです。



著者は当初有罪判決を受け、執行猶予付きの懲役刑を言い渡されていましたが、
その後、学会による池田氏出廷妨害工作の存在が裁判所に認定され、
罰金20万円へと大きく減刑されることになります。



(これらを考慮すると、著者は一応有罪判決を受けました。が、
「司法が断罪」したとまで言い切れる判決では必ずしもないのでは
ないでしょうか。見る人によって判断の別れるところではありますが)






さて、このような徹底した糾弾姿勢と、莫大な広告出稿のために、
表立って学会を批判できるメディアは少なくなりました。



ですが、そんなメディアが皆無だった訳ではありません。
今なお正面から創価学会を批判しつづける数少ないメディアこそが、
週刊新潮だったのです。






両者の全面戦争は、平成8年2月28日号の週刊新潮の記事

「沈黙を破った創価学会婦人部幹部 『私は池田大作にレイプされた』」

に端を発しています。この記事が女性幹部本人による告発だったために、
事態は一大スキャンダルへと発展していくのです。
(余談ですが新潮は、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・スクープ賞」を
この記事で獲得しています)



この事件に関しては、学会側は苦しい防戦を強いられます。
女性幹部側は、当然、池田氏をレイプ加害者として訴えます。
しかし、とにかく池田氏を出廷させたくない学会は、女性幹部が
訴権を濫用しているとし、この濫用の有無を先に審理するよう
訴えるのです。そして異例なことに、その訴えは認められます。



裁判は、3年間も「訴権の濫用の有無」のみについて延々と争われた挙句、
レイプ被害自体は時効成立により審理せず、という、凄まじいものでした。
実は学会側は、元司法教習所の教官らを弁護士として雇い、裁判官に
無言の圧力をかけてい(たという説もあっ)たのでした。






ただこの他にも、この事件に関しては腑に落ちない点があります。
冒頭に紹介したように、学会は現在に至るまで新潮への訴訟攻撃を
続けているのですが、発端となったこの記事については、なぜか未だに
名誉毀損訴訟を起こしていないのです。



確かに、訴訟を起こせば「原告」となる池田氏の出廷は避けられない
でしょう。しかし、本当に理由はそれだけなのでしょうか?
(と疑問に思っている人たちも多いようです)






かくして、創価学会による週刊新潮攻撃は現在も続いています。
今年3月には鳳書院が単行本を出版。
「言論のテロリズム――週刊新潮『捏造報道』事件の顛末」



負けじと潮出版も9月に単行本を出版します。
「裁かれた捏造報道――創価学会に謝罪した『週刊新潮』の大罪」



こんなワンパターン本ばかり出す余力があるのなら、売れない若手社会学者に
論集出す機会でも与えてやった方がナンボかましと思うのは私だけ?
・・・だろーなー。たぶん(笑)。






そして、ここに来て、ついに週刊新潮も反撃に出るようです。
11月6日号では、中吊りの約半分を割いての一大キャンペーンを展開。
その名も・・・

「新・創価学会を斬る――『異様な中傷キャンペーン』が思い出させる
狂気の『言論弾圧』――池田大作はヒトラーだと田中角栄は言った。
金と力による徹底した糾弾!昭和45年の悪夢がまた繰り返されるのか
巨大教団の本質を再び問う」







・・・何はともあれ、茶有家は浄土真宗です。ワタシは不信心者ですが(笑)。








そして、絶対に名誉を毀損しない文章を書くのって、難しい・・・。










10.24 fri.



Say Hello to Max Weberは、zero-yen.comのサイトから
茶有が管理ページにログインし、その中で更新作業を行っています。
自分のコンピューター内に保存されたデータをアップロードするというよりは、
web上に保存されているデータを直接書き換える、といった感じでしょうか。






で、今日のニッキ。いまだ根強い学歴志向のバカバカしさについて、
一時間以上かけて熱く語りに語って、そろそろオチに入るか…と
思ったところで、間違って[Alt]+[←]キー!!
(知らないヒトは、何が起こるか試してみよう)






…はい、それまーでーよー。






疲れました。今日はこの辺りで寝かせていただきます。
機会があれば、また、そのときにってことで。








10.10 fri.

自分はこの三年間、何をしてきたのでしょうか。




三年前といえば、大学3年生。
就職活動を目前に控え、しかし何から手をつければいいのか分からず、
漠然とした不安に悩んでいた頃でした。


そして、手探りで始めた就職活動。一回面接で落とされるごとに、
人格まで否定された気になり、悩みます。





内定。でも取ったら取ったで、自分はどの会社に行くべきなのか、また悩みます。
(このときの選択が間違ってたとは思わないけど、今後の教訓にしたいとは
思ってます。迷ったとき、最後に頼るのは、理屈よりも感情なのですね)





卒業旅行。1945年以来の恨みを晴らすべく、勢い込んで出かけてはみたものの、
結局、言語障壁のあまりの高さにすごすごと退散。
自分の英語能力の無さに、真剣に悩みます。





就職。右も左も分からない状況で、たまっていく一方の仕事の山。
何でこんなこともできないのか、深夜の会社のトイレで泣きながら、悩みます。


秋になり、だんだんとうつ状態になって、で、自分ともあろう人間が
うつになっているというその事実にショックを受け、悩みます。


病院の先生に「あなたは失敗した経験が無いですね」と言われ、
「そんなん分かっとるわい!でもどないせいちゅーんじゃい!!」と
心の中で叫び、そして本当にどうするのか、悩みます。





退社。新しい住居を探しながら、バイトを探しながら、
これからどうやって生きていくか、悩みます。





大学院受験を決意するも、準備期間はたったの3ヶ月。
英和辞典と格闘しながら、落ちたらどうするか、真剣に悩みます。


その後、院試に合格。でもこれで本格的に職無しが決定した訳で、
しかも卒業後の見通しも非常に厳しい状況で、
果たして本当にこのまま突き進んでいいものか、悩みます。





そして現在。
「太鼓の達人」4曲プレイする間に右手人差し指にマメを作り、
しかもそれをつぶしてしまいます。


でも当人はまったく気づかず、プレイ終了後に激痛。
自分のアホさ加減に、本気で悩みます。









とまあ、谷あり谷ありの3年間でしたが、皆様のおかげで、
Say Hello to Max Weber!は何とか3周年を迎えることができました。





今後とも、この「脱いでもやっぱり池脇千鶴!」な社会学的ラーメンサイトを
ご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。












10.8 wed.


先日、社会学者のYoshibei先生の講義にお邪魔してまいりました。



日大法学部などで社会学を担当しておられる先生の講義は、
品川駅開業からジャイアンツ不振を経てマートンのアノミー論へと、
本当に盛りだくさんのパワフルなものでした。
日大の人気講義投票で1位になったのも、思わず納得。






さて講義終了後、受講生の方も交え、近くの焼肉屋で一杯飲みつつ
(もちろん私は飲みませんが)お話をしていたのですが、
たまたまお店の有線で尾崎豊が流れていたことから、
尾崎トークが始まってしまいました。



Yoshibei先生は「彼は『大人は分かってくれない』というが、
彼はどれだけ分かってもらうための努力をしたのか」と一刀両断。






・・・いや、もう反論の余地もございません(笑)。






先生の著書「ストレス・スパイラル」は、こういった発想から
生まれたのか・・・と、ミョーな感心の仕方をしてしまいました。
(失礼なもの言いスミマセン・・・)









さて茶有自身は、Yoshibei先生とは異なった、全く個人的な経験から
尾崎豊を嫌っています。






私の通っていた中学校は、今ドキの「キレる」中学生が
かわいく見えるほど荒れておりました。



昼休みに靴箱が燃えたり、授業中の廊下をバイクが走り回ったり。
警官が校舎内を巡回しているにも関わらず、無法状態。
三年間の在学中、何人もの生徒や教師が救急車で運ばれていきました。
(でも今考えれば「廊下をバイクで走ろうと思い立つ」その発想力がすごい・・・)



誰の影響か知りませんが、真っ昼間の校舎で窓ガラス壊して回ったアホもいました。
で、その割られた窓の内側にいたのが、ワタシ。
いきなり飛んできた破片でまぶたの上を切って、顔面血まみれになりましたわ。



幸いにも軽傷で済んだのですが(でもその時の傷跡は今でも小さく残っています)、
あと数センチ下だったら、私は今ごろ失明してたでしょう。確実に。






その他にもエピソードを挙げればキリが無いのですが、
こんな学校で悪夢のような三年間を過ごした人間に、
あんな歌を受け入れることができるはずがありません。






彼は、朝、登校してきたら窓ガラスが全部無くなってたときの(実話)
生徒の気持ちを考えたことがあるのでしょうか?
一生懸命バイトして買ったバイクを盗まれた人の(実話)
気持ちを考えたことがあるのでしょうか?






私の大好きな鈴木彩子の歌に「長い放課後」という名曲があります。



放課後、クラブが終わり、一人呼び出された
体育館の隅っこで、味方が一人もいなかった
声を殺して歯を食いしばって
どんな仕打ちにも耐えなくちゃいけなかった


虫ケラのように丸まり耐えた気持ち分かるのかい
獣たちの笑い声はこれからも続くのかい



Yoshibei先生とも話したのですが、今の若者(に限らないけど)には、
想像力が完全に欠落しているような気がします。
ほんの少しでも相手の身になって考えられる想像力を持っていたら、
身勝手な「強がり」によって「誰かを傷つけ」ることなんて
絶対にできないはずです。






奴らにとって、尾崎の唄が大人への「自由と反抗の象徴」であるとするなら、
私にとって彼の唄は「取り返せない青春」(「長い放課後」より)の象徴なのです。






これからも、私は、奴らを絶対に許しません。





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