ひとりごと
〜2005.June〜

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない

(井上陽水「傘がない」より)



6.30 thu.

shushu氏からMusical Batonが回ってきた(とゆーかご指名された)のですが、
これってそもそもブログにトラックバックするモンじゃないんかいな?
まあ、そーゆーごく真っ当なツッコミは置いといて(笑)。




コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量


知らん。PCでは音楽は聴かないので、ほとんど入ってません。
ミュージックビデオのファイルであれば、数ギガほど入ってますが。




今、聴いている曲


SOIL&"PIMP"SESSIONS 「SUFFOCATION」

爆音ジャズロックです。この曲聴いてると、ホント飛び跳ねたくなります。
しまいにゃ、身体が勝手に動いてきます。あー、ライブが足りない!




最後に買ったCD


サザンハリケーン「ウェザーリポート」

買ったというかライブ会場でもらった非売品。季節的にはピッタリなんかいな。
このときのライブ、風邪気味なのに暴れまわったせいで、翌日からものすごい
高熱を出して、数日寝込んだというのは、今だから話せる話。




よく聴く、または特別な思い入れのある曲を5曲


鈴木彩子「長い放課後」

「両手でかばった命が 石ころのように見えるかい?」
「虫けらのように丸まり 耐えた気持ち分かるのかい?」

この曲を聴く度に「あの頃の」自分がよみがえります。正直、思い出すだけで
胸クソ悪くなるような記憶だけど、良くも悪くも、これが自分の出発点だから。




山崎まさよし「One More Time, One More Chance」

高校生の頃、初めて買ったCDがこれでした。
横浜・桜木町に行くと、今でもこの曲が頭の中をグルグル駆け巡ります。
固有名詞の入った曲が好きなのは、昔からだったんやなー。




CANNABIS「誓いの空」

学部生時代の最後に作った映像作品『ウグイスダニ』で、エンディングとして
使った曲。作品のラスト、映像がホワイトアウトしてこの曲のイントロが入る
瞬間は、いま観ても鳥肌が立ちます。と自画自賛してみるテスト(笑)。




フジファブリック「浮雲」

ここ数年は特に日本のロックをよく聴いていますが、ギターでガンガン攻め込む
正統派ロックよりは、歌謡曲とかジャズとかをほんのり漂わせたテイストが好き。
そんな趣味がモロに出た選曲ですね。一言でいうなれば、アシッド演歌。




東京60WATTS「昇天」

ほら、グループ名から固有名詞(笑)。東京60WATTSにはこの他にも、
「池袋三丁目の夕日」「西武線のうた」など固有名詞系の名曲多数です。
こちらはアシッドというよりスウィング系。とにかくピアノがステキな一曲。




バトンを渡す5人


あーにゃさんにゃんさんしょうようかいまきマメヤマ先輩
ブログでないのでトラックバックができないのですが、まだやってなくって、
なおかつこのサイトに気づいたら、どうぞ。それ以外にも「自分こそは!」って
ヒトがいたら、BBS でぜひ教えてくだされ。






中・高時代の「思い出の曲」はともかくとして、特に大学入学以降は
意識的に音楽雑食系を目指していたので(そのわりには偏ってますが…)、
5曲に絞るのはやはり無理がありますね。







さて、このMusical Baton。やり方はチェーンメールであるにもかかわらず、
あまり迷惑がられることもなく、むしろ積極的に答えようとしている人が
多く見られるような気がします(私も含めて)。
極めて短い間でのこの広がり方は、社会現象としては非常におもしろい。




というのもこの現象、音楽がもはや「聴いて楽しむ(聴取する)」ものではなく、
一種のファッションとして機能していることを表しているように思えるのです。
これは現在全力構築中の、自分の修士論文のテーマそのものなのですが。







例えばカラオケを考えてみると分かりやすいかと思います。
現代おけるカラオケは、音楽コミュニケーションを媒介するメディアとして、
つまり「自分はこんな曲を知っている/唄える」ことを対外的に示すことで、
自分の「センス」を示す場として、機能しています。




そして音楽番組や音楽そのもの(CDやMD、音楽データ)は、それ単体で消費される
(すなわち「観て/聴いて楽しむ」)ものではなく、その後何らかの形でアウトプット
するための「情報」という形で受容されるようになっています。




だから多くの場合、カラオケの場においては、他の人が歌う「唄」そのものを
真剣に聴く必要はありません。その人が「何を」唄っているかさえ分かれば、
それでコミュニケーションとしては十分に成立したことになるのです。




もちろん、ここで唄い手の意図と聴き手の解釈が一致するとは限りません。
それは、本人はピンクハウスを「かわいい」と思っていても、その趣味のない
人から見れば「ケバケバしい」ファッションであって、両者の間に共通理解が
成立することはほとんどないのと同じことです。




したがって、ファッションもカラオケも、そのコミュニケーションのあり方は
極めて一方通行的です。だからこそ、そのコミュニケーションが通じたとき、
そこにはかなり強い共同性が生まれる訳ですが。







しかし、この傾向は決してカラオケのみによって作られた訳ではありません。
実は70年代にFM文化が小さく生み出された頃(それは歌謡曲界において、
「シャボン玉ホリデー」といった歌謡ショーから「スター誕生」のような
音楽ドキュメントへの転換が起こった時期と軌を一にしています)から、
その傾向は始まっていたということができるのではないか。




そしてこの時期に始まった「音楽のファッション化=記号化」の流れ
(あるいはブルデューの言う「卓越化」への流れ)こそが、80年代に起こった
ミュージックビデオブームや、90年代のカラオケブームを経て、現在の
Musical Batonの爆発的な広がり方へとつながっているのではないかと。




(もちろんこの「ポピュラー音楽を通した卓越化」は、70年代に突然始まった
訳ではなく、ロカビリーやGSなどにもその端緒を見出すことができます。
70年代が重要なのは、その流れがラジオという「マスメディア」を通して
広がった、という点においてです。あくまで仮説なので、綿密に資料を
調べないと何ともいえないのですが。)







何はともあれ、今回のMusical Baton、とってもいい修論の素材に
なりそうな予感がします。最初にオランダで始まったときには
「好きな本」なども聞いていたらしいのですが、いつの間にかそれが
「音楽のセンスを示す場」へと変化していったことも含めて。







もちろん、素材があっても、料理をしなけりゃ食べられない訳ですが。
そろそろ、いーかげん、作り始めないとなー。







・・・そんなこんなで、来週は学校&学会での修論中間発表death。死に体。










6.15 wed.

初めて一日に(別内容で)二回発表して、頭の中がウニ。




それをいいことに、そのまま頭を整理することなく、ウニニッキです。
今週号AERAのオタク関連記事について。




自分には男子校生活の経験がないので、男子校生⇒オタクというイメージの
結びつけには「女子校の生徒はみんな先輩のことを『お姉さま』と呼んでる」
みたいな幻想が含まれているんじゃないかと、逆に疑ってしまいました。
昔ながらの体育会系男子校生⇒大学ではイベントサークルでブイブイ言わす、
みたいな流れも、たぶんもう一つの主流としてあるんだろうし。




ひょっとしたら、そんなものはもうない、のかもしれないけれど。




でも自分の経験でいえば、自分が所属してた委員会の交流会みたいなのがあって、
近くの男子校生(孫社長やらホリエモンやらが出た学校のヒトたち)がウチの
高校に来たとき、彼らの女子を見る目が明らかにギラギラしていたのを見て、
自分は同性としてものすごく嫌悪感を覚えたのが、今でも印象に残っているのよ。




文科系の巣窟であろう「図書委員会」(笑)ですらそんな感じだったので、男子校の
体育会コミュニティの出身者とかだと「イベサーブイブイコース」まっしぐらな
ヒトも、結構な割合でいるんじゃないかなーと。これもイメージだけですが。







この特集、記事の内容は総じて薄いのですが(まあAERAだから仕方ない)、
どちらにしても女子との距離のとり方が、共学校に較べていびつになりがちだ、
というのは分かりやすい話だし、それがその子の将来に及ぼす影響、すなわち
「男子校リスク」について扱った、という点では、なかなか面白かったです。
男子校に「男子校としての存在意義」はあるのか。難しい問題ですね。







この記事読んでて、高校時代にふと思いついた疑問を思い出した。
何で「女子大」はあるのに「男子大」は無いんだろう。
戦前の男女完全別学的な高等教育システムの反動?
単に、今それをやると「女性差別だ」って言われるから?







あと高校時代でもう一つ思い出した話。60代の国語のおばあちゃん先生が、
要するに「目標は高く持て!」みたいなコトを言いたいときに、いっつも


「男は東大、女はお茶の水を目指しなさい!」


って言ってた。これが戦中派の感覚なんだろうか。







さて今週号のAERAでは、一緒に腐女子についての特集も組まれていましたが、
腐女子については、自分に予備知識がないので何とも言えません。




ただ、彼女らが男ヲタに対して向ける目線は、その実態を知っているだけに、
実は一般的な女性以上に冷たい、というところはすごく興味深かった。
自らを「腐女子」と自嘲するそのメンタリティ、そして「腐男子」=男ヲタに
対するフツーに冷たいまなざし。そこには男ヲタとは異なる独自の論理(倫理?)が
あるような気がします。実情は、私にはまったく分かりませんが。







男ヲタが好む作品は、最終的にはエロへと行き着きがちです。もちろんエロが持つ
重要性はジャンルによって異なりますし、CLANNADのように、もはや萌えにエロは
必要ない!って宣言してしまうことも一つの選択肢になっていることは事実です。
でもその一方で、炉利巫女双子冥土陵辱調教と、エロが限りなく細分化されて、
それぞれのジャンルを形成しているのも、また事実です。




しかし、腐女子が好む作品において、エロの受容は最終目的ではないはず。
今回の記事でも、腐女子については「妄想」がキーワードになっていたし、
やっぱりかなりの部分で、論理が違うんですよね。男ヲタと腐女子は。







また逆に、男ヲタの腐女子に向けるまなざしについても、調べてみたい。
どこかで同志のような感覚をもっているのだろうか。
それとも、彼らにとっても「彼女ら」は完全に別人種なのだろうか。




腐女子にもボーイズラブ(BLはいいとしても「ボブゲー」って略し方は…どーよ)から
百合モノまでいろんな属性があるんだろうし、それとは別次元でコスプレイヤーも
いるし。男ヲタの萌え属性も腐女子の諸ジャンルも含めて、いつの日かオタク界の
勢力マトリクスを作ったら…楽しいだろーなー。







楽しいだけじゃダメでしょ。作ってどーすんの?その学問的意義は?







アクティビズムですよ!

オルタナティブ・メディアだよ!!

カルチュラル・スタディーズなんだよっ!!!








いやー、まったく、ウニだ(笑)。










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