ひとりごと
〜2004.Novenber〜

パンパンに膨らんだ
東京23区推奨ごみ収集袋を窓際に積み上げれば
ほら、見たことか 未来まで半透明にぼやけてしまいました


(野狐禅 “ぐるぐる”より)



11.2 tue.

北田師匠と、フェミニズム/反フェミニズム思想の形成における
男子校教育の影響力について(ほんのちょっとだけ)語ってきました。




うーん、実はコレ、わりと重要なのかも。
九州封建社会の中で育った団塊ジュニア世代という、普通に考えれば
反フェミど真ん中にいなければならないはずの自分が、この点だけは
むしろフェミニズム擁護側にいるのは、中高時代の生活の中心が
ほぼ女子コミュニティの中にあったからに他ならない訳で。








簡単に説明。「結婚したら専業主婦」なるイデオロギーが形成されたのは、
60〜70年代、すなわち団塊の世代が家庭を持ちはじめた頃であって、
「男の働き手が(つまり会社が)家庭全体の面倒を見る、女は家庭を守る」
ための諸制度が整備されたのも、ちょうどその頃、らしい。




つまり、専業主婦を当然とするような「伝統的家族像」なるものは、
実は全然伝統的ではなく、その頃に作られた諸制度を維持するために
ここ数十年の間に作り上げられ、そしてジュニア世代に再生産されていった、
まさしく「幻想」だった訳です。私はまったく無知だったのですが。








話を戻します。そんな(再生産されようとしている)世代にとって、
「男子校」という環境は、まさしくリアル女の子社会からの
断絶―囲い込みであって、反フェニミズム・保守的なオトコノコの
純粋培養装置にすらなりかねないのではないかと。




こんなこと言うと、反フェミニズムの人は、
「ジェンダーフリー論者が男子校撤廃を主張!!」といって
騒ぎ立てるのでしょうけれども。呆れるばかり。








私が言いたいのは、男子校という環境が、その後の性役割意識形成に
与える影響について、そろそろ真剣に考えるべきなのではないかと。
(もちろん、同じことは女子校にもいえると思う)




これだけ女性の社会進出が一般的になってきた中で、自分の子供を
男子校・女子校にいれるとどのようなメリット/デメリットがあるのか、
それを踏まえさえすれば、後は個人の選択の問題でしょう。








ただ、普通に考えれば分かることですが、これから先「女は家庭」
なんて言ってる男は、どんどん結婚できなくなっていくんだって。
「女は家庭」という考え方自体が、家庭の数そのものを減少させ、
社会構成の核を家族に置く伝統的家族像なるものを、リアルな
レベルで崩壊させてしまうんだって。




つまり、本当に家族制度を維持させたいのなら、男の子には
ピアノを習わせ、ブラスバンド部に入れ、詩や文学に親しませ、
茶道や華道の心得を身につけさせ、要するに女子コミュニティの
中で育てていくのが、一番現実的なのです。
間違っても男子校のサッカー部なんかに入れてはいけません(笑)。








もちろん「女は家庭」と言わなければ結婚できる、といふ
問題でもないのですが。誰かさんのように(笑)。












そういえば、以前ニッキに書いた八女市の男女共同参画条例問題について、
いきさつを整理したサイトを見つけたので、ご紹介。
http://transnews.at.infoseek.co.jp/fukuoka-yame.htm




やっぱりこーゆー人たちって、「区別」の名の下に「差別」が行われてきた
歴史的経緯を知らないが故に、自分もまた「区別」という名の「差別」を
していることに気がつかないんだなー。




3/16 毎日・西部版

性同一性障害や同性愛などに対する差別禁止を盛り込んだ
福岡県八女市の「男女共同参画のまちづくり条例」案について、
市議会総務文教委員会(川口誠二委員長)は15日、
差別禁止対象の「性同一性障害その他性に関する事項」のうち
「その他性に関する事項」を条例案から削除することを決めた。

(中略)条例案は市の男女共同参画推進審議会の答申(1月)を受け、
執行部が原案を作成。恋愛感情などが異性か同性、両性のいずれかに
向かうことを示す「性的指向」も差別禁止の対象と認め、
「性同一性障害または性的指向を理由とする差別をしてはならない」
との条文を盛り込んだ。

ところが「同性愛を助長する」などの抗議が市内外から相次ぎ、
市は「性的指向」の表現を「性に関する事項」と直して議会に提案。
しかし、その後も「性道徳の崩壊につながる」などの意見が寄せられた。

川口委員長によると、委員会では「『性に関する事項』は抽象的。
ロリコンや痴漢など犯罪も容認すると、拡大解釈される恐れがある」と
削除を求める声が続出した。




はい。いつ見てもひどい話です。
同性愛を「助長する」という表現なんて、同性愛が「性道徳を崩壊させる」
悪しき存在であるといってるようなもんです。
繰り返しになりますが、この問題について、ごく当たり前の、
反論するのも馬鹿馬鹿しい反論をしておきたいと思います。








まず、そもそもここでいう「性道徳」って何なのでしょう。
織田信長などが有名ですが、数百年前から、日本の権力者は、
小姓と呼ばれる少年の愛人に身の回りの世話をさせるのが
「伝統」でした。




戦国時代に日本に渡ってきた宣教師・フロイスは、当時の
日本の状況を見て驚き、少年愛を「忌まわしい行為」として
非難しています。つまり、同性愛を「批判」する道徳観は、
実は極めて西洋的な道徳なのです。




ここからも、議員さんたちのいう伝統的「性道徳」自体、
日本の伝統でもなんでもなくて、自分たちの頭の中で勝手に
作り上げたものです。従ってそれが社会全体の「道徳」であると
いう根拠は何もありません。




そして、そうやって勝手に作り上げられてきた道徳という名の
「自分の趣味に合わないものを徹底的に排除するための規範」
(つまり差別意識ですね)の下で、同性愛は「助長」されては
ならないものとして抑圧されてきた訳です。








「性犯罪を容認する恐れがある」って、「同性愛」という性向を、
(これは誰に迷惑をかけているわけでもない。公共の福祉には反しない)
これまであたかも犯罪者であるかのように扱ってきたことが差別なのであり、
その意識を変えようというのが条文の趣旨ではなかったのか。




結局、八女の市議会議員たちは
「自分たちは“同性愛=犯罪的”という意識を変えるつもりはありません!」と
全国に表明してしまった訳です。








一番呆れたのは、この記事。




3/3 毎日・西部版

しかし、条例案に懐疑的な市議は多い。ある議員は
同性愛は自然の摂理に反し、第7条4項は削除すべきだ」。





自然の摂理に反しているなら、どれだけ条例で縛りつけようが、
教育の現場で賛美しようが、同性愛という「性向」を持つ人が
マイノリティでなくなること(=多数派になること)は
絶対にないやんか!




だったら、せめてこんな法的実行力を持たない地方の条例くらい、
「そんな少数派への差別はやめましょうね」と言ってあげるのが
『男らしい』寛大な態度やないんかい!!








ホント、八女市民として恥ずかしかとばい。ウチは。
何か自分に出来ることはなかとやろか。この狂った故郷に対して。












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