ひとりごと
〜2004.June〜

結婚するって本当ですか

(ダ・カーポ「結婚するって本当ですか」より)




6.30 wed.

ワタクシの師匠、北田暁大氏が、荒川区の「男女共同参画社会」条例について
かなり活発に動いている様子です。詳しい経緯は下記を参照してみてください。



北田暁大氏のサイト「試行空間」
(条例反対派の立場から、この条例の問題点などを簡潔にまとめています)

林道義氏のホームページ
(条例推進派の立場から、この条例の必要性を説明しています)

荒川区のホームページ
(条例案をめぐる懇談会の結果報告)



この林氏、ぜひサイトに目を通していただきたいのですが、
筋金入りの右派・モラリスト・そして反ジェンダーフリー論者です。
イラクの邦人拘束問題や、北朝鮮拉致被害者の家族帰国問題などでは、
基本的な論調が当サイトとほぼ一致しています。



そっか…。右派でモラリストだったんか、ワタシは。今さらですが(笑)。



ただ、いくら「ラディカル右翼」茶有でも、このヒトの
ジェンダー観だけは受け入れることができませんでした。
私自身、氏と同じく、現在のジェンダーフリーな考えに
必ずしも<賛成している訳ではないのですが、今、女性を
家庭に戻して、何が解決するというのか。






社会に出る/家庭に戻るという自己決定権を尊重するというのであれば、
どちらを選んでも安心して生活できる環境の形成を目指すのが、つまり
「現在優遇政策が受けられていない人にも同等の優遇を与えるべく努力する」のが
政策決定者であって、最初から下に合わせてどうするのか。理解に苦しみます。






私は現在は中野区民ですが、東京東部地区(足立、荒川、江戸川など)の雰囲気が
大好きで、いずれは移住したいと考えているので、それだけに、今回の事件は
残念でなりません。



(ちなみに、この地方出身者が東部地区に対して抱く親近感の理由については、
私の師匠の師匠、吉見俊哉氏が『都市のドラマトゥルギー』の中で
恐ろしいまでに精緻な分析を展開しています。興味のある方はご一読を)








…そんな対岸の火事みたいなモノの言い方しておりますが、
実は自分のすぐ足元でも、これに関連した重大な事件が
起こっておりました。



そして恥ずかしいことに、約3ヶ月間も、私はこの問題に気づかず
放置していたのでした。ただただ、反省。






今年1月7日、福岡県八女市(!)が答申した
「八女市男女平等のまちづくり条例(案)」より抜粋。



第7条(性別による差別の禁止等)
第4項 全ての人が、家庭、地域、学校、職場その他社会のあらゆる場において、
性同一性障害または性的指向を理由とする差別をしてはならない







「性同一性障害および性的指向」を差別禁止事項として明文化した条例は
全国でもほとんど例がなかったらしく、八女市のこの条例案は注目を集めます。



どのように注目を集めたのかというと「『性的指向』という表現は、
同性愛や小児性愛(要するにロリコン)を助長しかねない」という、
「モラリスト」からの批判が殺到したのでした。






市は「性的指向」を「その他性に関する事項」という表現に変えて条例案を
通そうとしますが、その後も「性道徳の崩壊」を危惧する人々からの抗議は
止まらず、3月15日、委員会はついに「その他性に関する事項」という表現
そのものを条例案から削除します。






3月16日付西日本新聞より。

条例案の素案は、市長の諮問機関「市男女共同参画推進審議会」が昨年一月に答申。
その際は「その他性に関する事項」の部分を「性的指向」と表現していた。

しかし、それは同性愛を示唆していると指摘する市民団体などが「同性愛者の教師が
条例を根拠に、同性愛賛美を児童に押しつける事態も考えられる」などと反対を表明。
市側は表現を「その他性に関する事項」と改め、「同性や異性、両性などすべての
性的指向のほか、先天的に性別が不明確な人などを含む概念」と説明していた。

委員会では「同性愛者などの人権は守るべきだ」との意見では一致したが、
「『その他性に関する事項』という部分は拡大解釈され、問題点は解消されない」
などの意見が続出。賛成意見はなく、川口委員長は「条例自体に反対する議員もおり、
修正して可決しやすい案にした」という。

素案を答申した審議会の高橋安男委員は「同性愛を含め、さまざまな性的指向のある者に
対し根強い偏見があり、それを解消したいとの思いで明文化を目指していたので残念。
ただ、『その他』という表現が小児性愛などまで含むと誤解された面もある」と話した。







同じく3月16日付毎日新聞。

川口委員長によると、委員会では「『性に関する事項』は抽象的。ロリコンや痴漢など
犯罪も容認すると、拡大解釈される恐れがある」と削除を求める声が続出した。







…ホント、八女市に育った人間として、恥ずかしい限りです。
議員達は、逆に自分らが「性的指向による差別」を助長してしまったという事実に、
どれだけ自覚的だったのでしょうか。






だいたい、根本的な認識の誤りとして、ロリコンは犯罪ではありません。
少女監禁など、具体的な行動を起こせばもちろんそれは犯罪になりますが、
「性的指向」を有しているだけで彼(女)らを犯罪者扱いしてしまう考え方は、
明らかに憲法で保証されている「思想・信条の自由」を侵害しています。






痴漢は言うまでもなく犯罪です。ですがもちろん「指向性」のみを根拠に
断罪される類のものではないですし、何をもって「指向性」の有無を
判断するのか、見誤るとそれこそ「拡大解釈」の危険性を孕むことになります。



そもそもこの条例を見て、市民が「痴漢もOK!」と考えてしまうことを
危惧したのであれば、議員達は八女市民の知的レベルをあまりに馬鹿にしています。






いちいちツッコミを入れるのも馬鹿馬鹿しいのですが、
これが八女市のすることか…と考えると、怒りを通り過ぎて、
情けなさでいっぱいになります。いやマジで。






確かに、八女市は昔から同和教育が盛んで、私たちは毎年人権週間になると
体育館に集められ、教育委員会のお偉方の話を聞かされたものでした。



同和教育といいながら、被差別部落問題の解消に向けた建設的な話は
全く行われず、「差別はよくない」という当たり前の内容の演説が
2時間延々と続く拷問のようなあのイベントは、ひとことで言って、
教育委員会の大いなる自己満足以外の何物でもありませんでした。






しかし、たとえ実は無くとも、「人権教育に熱心である」という
「看板」だけは守ってきたのが八女市の人権教育だったはずです。
この上看板まで放棄して、いったい何が残るというのでしょうか。






国政選挙も重要だけど、実はこんな身近なレベルで、
政策として人権が侵害されていることに、恐ろしさを感じます。
ホントはこういう語り口は嫌いなんだけど、やっぱり言っときたかった。






いい思い出なんてないけど、それでも自分が育った街だから。











6.9 wed.

昨今の「純愛ブーム」に異議アリ。








…え?これまで岩井俊二("Love Letter")やら、堤幸彦("恋愛写眞")やら、
篠原哲雄("月とキャベツ")やら、いわゆる「純愛映画」をさんざん持ち上げといて、
どーゆーつもりやねん!というツッコミが聞こえてきそうですが、まあ餅つけ(笑)。




先日、ヤングアニマル表紙の「藍より青し」に『純愛ブームの火付け役!』という
宣伝コピーを当てた担当者にも、もちろん異議はあるのですが(笑)、
私が一番違和感を感じているのは、「冬ソナ」やら「世界の中心で〜」やらを観て
感動の涙を流しておられる若い女性のミナサマの姿でございます。




(実際にそんな女性がどの程度いるのか、という統計的問題は置いときます。
メディアの言うことをそのまま信じれば、一応、ブームになっている、らしいんで)








私は、何故にそんな女性に対して違和感を感じてしまうのでしょうか。
別にあれを観て感動しているオトコについては、何も感じないのに。








そもそも多くの男性は、潜在的・顕在的含めて「純愛好き」な傾向をもっています。
少なくとも私達の年代の男性は、タッチに始まり電影少女を経由してBOYS BE...に至る
甘酸っぱい青春時代を、大なり小なり経験してきた訳ですから(笑)。




そう考えると、そんな糖分・クエン酸、共に過剰な少年時代を送ってきた
オトコノコが、大人になっていわゆる「純愛エロ」=葉鍵系ゲームにハマるのは、
実は至極当然なことであると考えることができます。




だって、いくら純愛からスタートしているとはいえ、ほとんどの男子はやはり普通に
エロ成長もしていく訳ですから。タッチ→電影少女→BOYS BE→葉鍵という流れは、
純愛をベースとして、そこに徐々にエロが追加されていくという、実は男子として
健全な成長の過程であるといえるのです。




(純愛エロとは、一見矛盾している言葉のようにも思えます。
しかしここでは、マンガ・ゲーム世代における健全なる男子の成長の
到達点として、敢えて「純愛エロ」という言葉を使いたいと思います)








では本題に戻ります。
本題は「なぜ『純愛』に涙する若い女性に違和感を感じてしまうのか」でした。








ここまでも、ここからも、今回の話は完全に茶有の印象論なので、根拠はありません。
が、そもそも今の20代の女性が通過してきた「女子カルチャー」は、同世代の男子が
どっぷり首まで漬かってきた「純愛をベースとしたカルチャー」を、徹底的に否定する
ところから生まれてきたのではなかったのでしょうか。




もちろん、女子カルチャーにも純愛幻想は存在しているでしょう。しかし、
男子の純愛がカルチャーの「基礎」であったのに対し、女子にとっての純愛は、
あまりにもリアリスティックな主流女子カルチャーに対する「幻想」
(あるいは夢物語、あるいは逃避)として存在しており、男子の純愛イメージに
較べると、かなりいびつな形を取っていたのではないでしょうか。




この印象については、中学で吉田秋生、高校で桑原水菜、
そして現在が今野緒雪という、主流(?)女子カルチャーへの
(ある意味悲惨な)接触を経験してきた、茶有の個人的経験の
せいもあると思います。しかし、現在の「別マガ」収録作を
考えれば、全く的外れの推論とも思えません。








少なくとも、純愛の受容を拒否し続けてきた、あるいは(男子に較べて)
歪んだ純愛の受容を意図的に行ってきた女子諸君が、今になって「ネタ?」と
思えるほどのコテコテの純愛に本気で涙している図が、茶有にはあまりにも
滑稽に思えて仕方がなかった訳です。たぶん、これが、違和感の正体。








そして、こうやって自分を正当化しながら、つい今日も
「恋風」の放送時間まで起きててしまう自分がおる訳です。








Say Hello to Max weber!は、ゆうこりんの新曲「永遠ラブリン(∂▽<)」を
応援していますが、純愛ブームには反対しています(笑)。









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