ひとりごと
〜2004.January〜


風が吹く 港の方から 焼け跡を包むようにおどす風
悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕


ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」より



1.31 sat.

1月の冒頭文は、ソウル・フラワー・ユニオン(後にガガガSPがカバー)の「満月の夕」です。



夕暮れが悲しみの街を包む 見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが 胸を熱くする



ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む吐く息の白さが踊る



解き放て 命で笑え 満月の夕




阪神大震災直後に神戸で公園ライブを行った際に作った曲だそうです。
本当に、聴く度に何とも言えない気分にさせられます。






95年1月17日、阪神大震災の日は、私にとっても忘れられない一日です。
その日、私は高校受験本番の日でした。
第一志望校ではなかったのですが、受験一発目で、かなり緊張していました。






受験会場が博多と遠かったため、この日、私は5時半に起きて準備を
していました。寒い朝で、紅茶がやけに熱く感じたのを覚えています。



テレビ(確かNHK)では既に「近畿地方で大きな地震」を報道していたのですが、
その段階では現地の映像は全く入ってきておらず、
私は「ちょっと大きめの地震があったらしい」程度の認識で
(そして頭の中はそれどころではなく)家を出たのでした。






試験を終えて(思ったようにできずに落ち込んでいた)、博多の街へ出ると、
街頭の電光掲示板が、死者多数の大災害になっていることを伝えていました。






家に帰ると、母が私に向かって、試験の結果を聞くより前にひとこと。



「神戸が大変なことになってるよ!」



テレビには、なお燃え続ける神戸の街が映し出されていました。









ただこれだけの話なのですが、自分の中ではあまりにも奇妙な、
何もかもが現実からふっと離れたような、そんな一日として、
今でもはっきりと記憶に残っているのです。






震災から早や9年。
気が付けば、いつの間にか自分も地震多発地帯に住むようになっていました。
間違いなく来るであろう「いつか」のために、自分も備えをしておかなきゃ・・・と
思いつつ、結局、今月も何もしないまま終わる1月の最終日。











1.14 wed.

正月を過ぎ、東京の街を吹く風も、不況の風も、
その冷たさは増していくばかりでございます。






先日、約一週間の正月休みを終え、バイト先へ今年初出勤したときのこと。






ピザ屋のバイトは、夕方〜閉店のシフトであれば、夕食時の
ピークまでの間、メニューチラシのポスティングに出かけます。



私の勤めているお店の場合は、5時にシフトインし、
だいたい6時頃までポスティングをするのがいつものパターンです。
件数にして300件程度。店長に指定されたエリアにばら撒きます。



ところがその日、いつものように自分に課せられているポスティングの
エリアを確認すると、どう見てもいつもの倍はあります。
うそー、コレ、どう考えても2時間はかかるじゃん…と鬱な気分に
なっていると、隣にいた同僚がひと言。






「茶有さん、それ集ポスでいいんで」






ポスティングには、ドアポストに入れる「ドアポス」と、
玄関先の集合ポストに入れる「集ポス」の二種類があります。



集ポスはドアポスにくらべ数分の一の手間で済みますが、
集ポスにすると、毎日山のように入れられる他社のチラシと共に
ゴミ箱へ直行させられてしまう可能性が高いので、
注文率(撒いた枚数に対する注文件数の比率)を上げるためには、
手間はかかりますがドアポスは必須です。


バイトにも「集ポス厳禁」は徹底されており、もし規定を破って
集ポスしていたことがバレると、厳しい罰則が課せられます。



但し、期間限定メニューがもうすぐ終売になるときや、
チラシについている割引券の有効期限が迫っているときなど、
チラシの在庫を急いで減らさなければならない場合、
例外的に集ポスにして、とにかく数を稼ぐこともあります。



でも、この時期、別に集ポスしてまでチラシを減らさなければ
ならない理由は、特に思い当たりません。私が怪訝な顔をしていると、
厨房で生地を伸ばしていた店長が『映画の後に食事、と言いかえても
違和感を覚えさせないさりげない口調で(笑)』ひとこと。






店長「あ、茶有さん、実はこの店、なくなるんですよ」






茶有「・・・は?」





店長「なんで、ドアポスで注文率上げても仕方ないんで、集ポスで(笑)」






・・・いや、(笑)って言われても。なんともかんとも。
つか、ドアポス・集ポス以前の問題じゃないんですか。それって。






こうして、新年早々めでたく失業が決定してしまいましたとさ。






私自身、まさか、一年の間に二度も失業経験することになるとは
思ってもいませんでした。
茶有の厄年は、まだまだ続くみたいです。






時は一月。不況の風は・・・(以下略)











1.6 tue.

今年も、残すところ11ヶ月と3週間になってしまいました。
辻・加護のモー娘。脱退という、あまりにも衝撃的な事件で幕を開けた2004年。
氣志團の武道館ライブをはじめ、本当にいろいろなことがありました。
来週にはラーメンズのライブも控えており、まだまだ長い1年になりそうです。






さて、年末のお台場カーニバルレポ、正月の氣志團ライブレポは後日詳しく
お伝えするとして、今日は新年1発目なので軽いネタを一発。
私の住む中野区のお隣、杉並区のお話をしたいと思います。






この杉並区、高円寺などの全国的に有名な街を有していながら、
(足立区・荒川区とは違った意味で)周辺住民のウケが良くない
地域の一つに数えられています。



東京屈指の高級住宅街・世田谷区と、東京土着民族居住地・練馬区に挟まれた
杉並区は、その中途半端な自称「高級住宅地」感からか、
某巨大掲示板群ユーザーから「杉並ドキュソ」と蔑まれる始末。



三善里沙子著「中央線なヒト」によると、杉並区を含む衆議院の選挙区で、
共産党の松本善明候補が落選したとき、杉並文化人たちはこぞって
「杉並もこれで終わりか」と嘆いたとか。



杉並区は、そんな自称「高級住宅地」としてのプライドと、
赤い旗マンセーな区民性とが融合し、独特の文化を
作り上げている地区なのです。






さて、そんな楽しい杉並区で、昨年起こったある事件です。






2003年4月17日夜、杉並区わかば公園のトイレの外壁に
落書きをしたとして、24歳の青年が逮捕されました。
彼はスプレー塗料で落書きした後を近隣住民の一家に追跡され、
通報で駆けつけた警察官に現行犯逮捕されたのでした。






・・・便所の落書き犯を尾行して通報。
さすが杉並区民。やることが違います(笑)。






ちなみに、その青年が書きつけた落書きは
「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」






・・・さすが杉並区民。落書きの内容も一味違います(笑)。








(スペクタクル社会:フランスのドゥボールという偉い思想家さんが
唱えた概念。観客として「観る」ことしかできない現代社会のことを
指すらしい。・・・いいのか?こんな説明で)








1.1 thu.


新年、あけましておめでとうございます。
2004年も、Say Hello to Max Weber!をよろしくお願いいたします。



ちなみに、今年の冷やし中華は6月13日からはじめマス。






・・・もちろんウソです(笑)。













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