ひとりごと
〜2003.November〜

「あたり前だ。おまえは頭がおかしくなっているんだ」
「わたしが異常で、ほかの議員や公務員たちは、みな正気だとおっしゃるのですか」

星新一「なぞの青年」より


11.29 sat.


東京に出てきてから、ホントによくライブに行くようになりました。



ここ一年半で行ったライブは、ざっと考えただけでも、スカパラ、
モー娘。(ごっちんのラストライブ!)、氣志團(3回くらい)、
キリンジ(2回。内1回は武道館!)、音楽じゃないけどラーメンズ(2回)、
そしてフジファブリックはほぼ月1ペース、10回以上。



氣志團とモー娘。を同時に聴いてるヒトってどーなのよ、という気も
しますが、私の中では、比較的同じような楽しみ方をしているのです。
すなわち、普通に考えれば古臭い音楽や見せ方を、「敢えて」
パロディとして楽しむ、というスタンス。






モー娘。の見せ方が、往年の「夕ニャン」そのものであるという点には
疑問の余地はありませんし、音楽的にも、彼女らの(というかつんく♂の)曲には
新しいオリジナルの要素はほとんど存在しておらず、むしろ既存の要素の断片を
切り貼りすることで、音楽として成り立っています。
(あ、音楽面でも「モー娘。萌え」=「データベース的消費」なんだ…)



氣志團になるとその傾向はさらに顕著で、横浜銀蝿を筆頭に、BOOWY(含む布袋)、
矢沢栄吉、チェッカーズ、尾崎豊などなど、いわゆる「80's風不良スタイル」を
「今の時代に」「真面目に」徹底することで、その古臭さ、時代遅れ感を
笑えるネタとして私たちの前に提示しています。



ライブに行ったことはないのですが、最近ハマッているクレイジーケンバンド
なども、方向性としては同じです。彼らの場合、基本はロックンロールや
GSですが、まるでそれがカッコいいものであるかのごとくヒップホップを
演ってみたり、かなりヒネりが効いてます。






ところが、世の中にはモー娘。の音楽に本気で感動してしまったり、
氣志團のファッションを素でカッコいいと思ってしまう人々が、
実はかなりの数でいるようなのです。






私の大学の師匠である北田暁大閣下が、「音楽誌が書かないJ-POP批評」に
こんな一文を書いておられました。



「『ガチンコ!』って笑えるよねぇ」と学生さんたちに話をふったら、
「でもそれってやらせですよ」と身も蓋もない感想を多数戴いてしまった。
どうやら、斜に構えたテレビ視聴の方法論は過去の遺物となってしまったようだ。
『ガチンコ!』を笑ってはならない。それに対しては感動するか、批判するか、
いずれかの態度をとらねばならない…



本質的には意味の無いことを「敢えて楽しむ」ことが出来ない現象は、
私たちから見れば、当に「ネタニマジレスカコワルイ」状況なのですが、
本人たちにしてみれば「どこがネタなのか分からない」のでしょうし、
だからこそこんな状況が生まれているのでしょう。






彼らには、「ガチンコ」がやらせであることを読み取ることはできても、
送り手が初めから「これはやらせである」と読み取られることを前提に
番組を作っている、ということを想像はできない訳です。






続発するやらせ事件を通して、私たちは「テレビはやらせをするもの」という
冷めた視点を獲得しました。いつの間にか観る側に「テレビは現実を歪曲している」
という思想が刷り込まれてしまったのです。



報道としては、この言い回しは仕方のないことだと思います。
報道とは現実をそのまま伝えることを何よりの目的としており
(もちろんそれは絶対に不可能なのですが)、だからこそ伝達される過程で
それが歪曲されていた、ということが大事件になる訳ですから。






しかし、「テレビが現実を歪曲している」という思想は、
何より「真の現実」というものの存在を前提としています。
では、エンターテイメントにおける(例えばガチンコにおける)
「真の現実」とは何なのでしょうか。






BE-BOP予備校生たちが、本当は不良でも何でもないただの浪人生であったとします。
毎週繰り広げられる大和龍門とのケンカにもすべて台本があったとします。
それが真の現実だったとして、それをそのまま<歪曲せず>提示したとしき、
果たしてそれが番組になるでしょうか。



もっというなら、テレビにおけるすべての歪曲を否定したとき、
果たしてエンターテイメントは成立するでしょうか。






「電波少年」「あいのり」「キスイヤ」「愛する二人〜」「マネーの虎」等々、
一見ドキュメンタリー風のバラエティ番組は数多く存在します。
これらの番組は、常識的に考えれば、やらせです。
別にメディア研究とか何とか難しいことをやってなくても、
普通のヒトが普通に見れば、やらせであることは一目瞭然です。



テレビ制作者はプロです。本当に歪曲した現実を、あたかも真の現実で
あるかのように見せたい時には、そんな素人に簡単にバレてしまうような
演出は絶対にしません。そう考えれば、誰が見てもやらせに思える
バラエティ番組は、制作者も「やらせ(=虚構)であることを暗黙の了解と
した上で楽しんでもらうもの」として提示していると考えた方が、自然なはずです。



現実―虚構は、必ずしも表裏一体の関係にある訳ではありません。
むしろ、虚構のほとんどは、虚構のみで成立しており、
虚構のウラには「虚構によって隠蔽されてしまった現実が存在する」という
思想こそ、現実と虚構の関係を捉え違っているとしか思えません。






ガチンコや氣志團やモー娘。を真面目に批判するヒトとは、
自分では「メディア戦略に乗せられていない」つもりでいて、
実は一番「現実と虚構の区別がついていない」ヒトなのでした。






このかなり歪んだメディアリテラシーを巡る状況。
解決の糸口があるとすれば、それは氣志團やモー娘。やガチンコの
パロディとしての面白さを「真面目に」説いていくような、
そんな地道でバカバカしい言説から生まれてくるのではないかと、
私は確信しています(富澤一成口調で)。











話は変わりますが、当サイトでもさんざんプッシュしてきた
インディーズバンド「フジファブリック」。
来年いよいよメジャーデビューするようです。






CANNABIS、RAYMONDS、空気公団、ゲントウキなどなど、
「茶有が応援するマイナーミュージシャンは大成しない」という
前例を覆すことが出来るのか? 乞うご期待!













11.18 tue.


清涼院流水著「コズミック(流/水)」「ジョーカー(清/涼)」(講談社文庫)読了。



とりあえず、長かったです。
一応それぞれ2巻ずつ独立した話なのですが、実はこの4巻は
「流」「清」「涼」「水」(清涼in流水)というヘンな順番で読んで
初めてそのトリックに気付く、という凝った趣向の推理小説なのです。


従って、その「筆者オススメ」の読み方に忠実に読み進めようとすると、
「コズミック」上巻(「流」)を読んだら、その謎解きはほっといて、
全く異なる話である「ジョーカー」上下巻(「清」「涼」)を読まなければ
ならないのです。これがかなりじれったい。



(確かにこうすることで、全体を通して施されていた大きな仕掛けに
気付くことができるようになってはいるのですが)






で、話の内容ですが、ひと言でいってしまえば、数十件の連続密室殺人を、
数十人の探偵たちが推理するお話です。



探偵たちは「日本探偵倶楽部」(JDC)という組織に所属しており、
それぞれに得意技(得意推理?)を持っています。



眠りに落ちて思考能力を高める「悟理霧中」。
歩いて右脳を刺激し、発想を得る「理路乱歩」。
必要なデータが揃うと、天から啓示が降りるかのごとく
真相を悟ってしまう「神通理気」なるものまで。



何から何まで突飛な設定ですが、推理小説の核であるトリックについては、
かなり本格的で、面白い趣向が用意されています。
膨大な分量と回りくどい文体には少々忍耐が必要ですが、
ミステリー好きならとりあえず読んでも損はしない一作です。






ただ、この小説に興味を持ったのは、単に私がミステリー好きだから、
というだけではありません(いや、ミステリーは普通に好きなのですが)。
何を隠そうこの作者、東浩紀氏や大塚英志氏らオタク文化研究者から、
「現代日本のオタク文化を象徴する作家」として注目を集めているのです。



東氏曰く、「何十件もの密室殺人や十何人もの探偵がつぎつぎと描き分けられ、
読者もまたそれを自然に許容しているという現象は、清涼院が読まれる
市場において、探偵像やトリックや解決方法がすべて萌え要素になっている
からこそ成立する」のだそうです。



「萌え要素」とは「消費者の萌えを効率よく刺激するために発達した記号」のことです。
「萌え」とは、森川嘉一郎の定義を用いれば「特定のキャラクターやキャラクターを
構成する特定の部分的要素に惹かれ、好みに感じること」です。



特徴的な名前を持つ数十人の探偵が、それぞれ必殺技的な推理を駆使して
数十件の連続連続殺人を解決してゆく、という設定は、ストーリーも
キャラクターも、すべてが既存の断片的要素の組合せで構成されており、
それはミステリーさえもが、あたかも「ゲームに萌える」ように
消費されるようになった現実を象徴しているということが出来る訳です。






しかし、私は清涼院流水の小説に対して「萌え要素」を感じることは
出来ませんでした。言い換えるなら、自分が理解している「萌え要素」には、
この小説の設定はあてはまらなかった訳です。



アニメやゲーム以外でも「萌え要素」の存在しているジャンルは多数あります。
活字の世界もその例外ではなく、「コバルト文庫」に熱中する女子中学生は
その典型例といえるでしょう。

(例えば某女性の友人曰く、直江に萌える女の子は、直江自身に
萌えているのではなく、『年下』の『男』の『ご主人様』を
愛してしまった『年上』の『男』の『従者』に萌えている」
のだそうです。この辺りは分かる人だけ分かっておけば十分かと
思います)



しかしながら、これらの要素はすべてマンガ等で二次創作することが可能です。
例えばコバルト文庫であれば、人気のある作品のほとんどが二次創作され、
つまり断片化された萌え要素を再構成され、同人誌となりコミケに並びますし、
それが出来ることこそが、オタク文化的消費スタイルの最も大きな
特徴でもある訳です。





それに対して推理小説では、キャラクターに萌えることは出来ても、
その設定やトリックが萌え要素となり得るのかどうかについては、
未だ未知数です。



そして、推理小説における設定やトリックがデータベース化され
蓄積されつつあるのは確かであるとしても、「一度使ったネタは二度と
使うことは出来ない」ルールが常識となっている推理小説の世界で、
「トリックを萌え要素にした」二次創作はどこまで成立し得るのか、という
大問題が、清涼院小説によって解決されたとは、私は思いません。



確かに、あたかもゲームのように、アニメのように「萌える」作品として
ミステリー小説を書こうとした清涼院氏の試みは、とても興味深いものに思えます。
しかしながら、その試みが成功したのか否かについては、まだ結論を出すのは
早すぎるように思うのです。



キャラクターや解決方法のみならず、トリックまでもが「萌え要素」となり、
その二次創作が生み出され、消費されるようになったとき、
そのとき初めてオタク文化としてのミステリーは成立したということが
出来るようになるのではないでしょうか。






それを確かめるためには・・・あー、やっぱ今年こそは年末の台場、
行かんといかんのかなー。
自分としては、越えてはいけない「最後の一線」のつもりだったのですが。






・・・って、こんなんに熱く語ってるとやっぱり誤解されるんだよな(笑)。
改めて言っときます。私はあくまで「研究の一環」としてオタク文化を
扱っているのであって、別に自分の趣味でやってる訳ではありません。






まあ、誰も信用してくれないんだろうけど(笑)。










11.7 fri.

投票日2日前になって、各党ネガティブキャンペーンが
激しくなってきている様子。
私のアパートにも「ここが問題 民主党」なる、自民党発行の
小冊子がポスティングされておりました。



いや、これがネタ満載でかなり笑える内容だったので、
ここでいちいちツッコミを入れながらご紹介をば。






まずは自民党発行「ここが問題 民主党」より。



(民主党は)まるで確固たる政策を持っているかに見えますが、
中身は野党ならではの無責任公約。都合の悪いことには触れず、
甘い言葉だけを並べているのです。



ならアンタらのマニフェストはどないなっとんじゃい!と思うのは人の常。
ちなみに自民党マニフェストは、郵政事業改革を最初に持ってきています。



郵政事業を2007年4月から民営化するとの政府の基本方針を踏まえ、
日本郵政公社の改革状況を見つつ、国民的討議を行い、
2004年秋頃までに結論を得る。



・・・さすが与党ならではの責任ある公約。
やる気がないことを素直に「やる気はありません」と
言っている点など、かなりポイント高めです。



ついでなので、共産党マニフェストの最初の項目も見てみましょう。
あ、そしてやっぱり共産党はアカです。
もちろん深い意味はありませんが(笑)。



5兆円の軍事費にメスを入れ、抜本的な軍縮に転換させます。



さすがは共産党です。いきなり、ぶっとばせー!な感じ。






さて、続けて「ここが問題 民主党」



民主党は「道路公団を廃止し、高速道路の料金を無料にする」と言います。
しかし、道路公団には今40兆円もの借金があるのです。もし廃止したら
一体誰がその借金を払うのでしょう。



そもそも40兆円もの借金を作ったのはアナタ方与党の責任なのですから、
責任は自分達で取ってください。



国会議員の年収はヒラの議員で約2400万円(月収137.5万+ボーナス718万)。
衆参727人に支払われると、年間支出は174億円です。



議員の皆さんにちょいとひもじい思いをしてもらって、
収入を国民の平均年収である407万円にまで落としてみると、
あら、年間144億円を借金返済に充てることが出来ます。



これに政党助成金317億円を足すと、年間返済額は461億円。
政治家が86年間ガマンするだけで、国民一同に全く負担をかけずに
道路公団の借金を完済することができるのです。
但し、この計算式では利子を考えてませんが(笑)。



ちなみに、日本共産党は政党助成金を受け取っていません。
さすが、階級闘争をくぐり抜けてきた方々はやる事が違います。






も一つ「ここが問題 民主党」



政界再編と言えばなにやら価値があるようですが、ビジョンなき
集団同士が権力のためにくっついたり離れたりしてるだけ。
今の民主党にしても、離合集散の最終形という保証はありません。



公明党とくっついた自民党にここまで言われるとは、
民主党もさぞかし無念なことでしょう。



小泉首相の盟友である山崎拓氏は、総裁選の際、自民党HP内の「所見」で
次のように述べていました。



説明責任を果たし、自民党の政治理念を明確にすることが、
自民党に対する国民の理解と支持率の上昇につながるものと信じます。
その際、政教分離の原則を改めて確認することが必要なことは
言うまでもありません。



・・・よろしくお願いします。政教分離(笑)。






ちなみに、日本で最も古い歴史をもつ単独政党は、日本共産党です。






さて、どの政党に投票すべきか・・・ここまで来れば、もう明白ですよね(笑)。






Say Hello to Max Weber!では、今回ついに出馬を見送った
羽柴秀吉氏を強力リスペクトしています(笑)。






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