ひとりごと
〜2003.May〜

Confront your enemies,avoid them when you can
A gentleman will walk but never run


Sting “Englishman in New York”より




5.26 mon.

約3週間ぶりの更新となってしまいました。
文句のある方はNTTまで今すぐお電話を。番号は116です(笑)。






さて、今日のテーマは、みんな大好きコイバナです。






先日、友人達と夜通し飲んでいたのですが、その中で一番盛り上がった話題が、
「浮気の境界線はどこにあるか?」というテーマでした。
ま、コイバナ界では古典中の古典ですね。






問いの定義が少し曖昧なので、はっきりさせておきましょう。
ここで問われているのは「自分の彼氏/彼女が何をしたときに『浮気』と感じるか」です。
「自分が何をしたとき浮気と思うか」という問いではありません。
とゆーのも、「自分は(バレなければ)何やったってOK!」とのたまふ奴がいて
議論が紛糾してしまったので、今回はこのラインで落ち着きました。



中には「目が合っただけでもダメ」(23歳:女)という過激な意見もありました。
彼女の彼氏さんは大変です。盲導犬がいないと街中は歩けないに違いありません(笑)。
まあ、最も多かったのは「身体的接触を持った時点でNG」というものでした。
具体的に言えば「手をつないだらNG」ということですな。私も基本的には同じ意見です。






まず、この命題について検証しましょう。



以前、彼氏ができたばかりの女性の友人と話していたとき、彼女は
「初めて手をつないだときが何よりドキドキした」と語っておりました。



考えてみれば、恋愛の進行段階において「手をつなぐ」という行為は、
非常に不思議な位置付けに置かれています。
原初的な行動の割には、キッスやその後続く性的行為(これ以上言えません…ぽっ)より
順番が後だったりすることも少なくありません。
統計を取った訳ではないので、異論反論objection多々あるかとは思いますが。



「手をつなぐ」という行為は、他の諸行為と異なり、直接的肉体的快感が
得られるものではありません。それだけに、行為に込められるスピリチュアルな
意味合いは非常に強くなるのではないか、というのが茶有仮説。
別に恋愛プロフェッショナルといえるほど場数こなしてる訳ではないので、
これもあくまで主観によりますが。






ところが、ここで再び議論は紛糾します。
それは「『接触しなければ』何をやってもOKなのか?」という
新たな命題が発生してしまったからです。
これに対しては、一人を除いて、そこにいた全ての人がNOと答えました。
OKと答えた非常識人は、そう、私です。






私は育った環境のせいか、比較的女性の友人が多いようです。
とゆーか、間違いなく同性の友人より多いです。
(BBSのカキコ比率そのままと思って構わないかと)
そのせいで「女性に甘い」といったご指摘を受けたこともあります。


自分では「甘い」というよりは、女性社会の中でうまく生き抜くために
勝手に身についた、生存本能のようなものと思っているのですが。
でも、まあ確かに封建思想がないとも言い切れないかも。一応九州男児ですし。



何はともあれ、私はそんな環境にいたので、異性と(同性と変わらない)
普通の友人付き合いをすることに、あまり抵抗を感じません。
つか、何でそこまで過剰に意識しなきゃいけないのか、私には分かりません。



いーじゃん、別に二人で夜通し飲んだリ、旅行ついでに泊めてもらったりするくらい。
そこで後先考えずに襲いかかって、大事な友人関係破壊するほど短絡的な奴と
思われることの方が、私にはよっぽど心外です。






そう言うと、ある女子が「茶有ってそんなに安全なの?」と一言。
だーかーらー。世のオトコはみな発情期みたいに言うなっつーの。
アンタは枯れ過ぎじゃい、というツッコミはおいといて。






閑話休題。
自分の意識は、確かに世間一般からすればズレているのかもしれません。
でも、別に自分が間違っているとは思わないし、むしろその「世間一般の常識」の方こそ、
人間関係の幅をものすごく狭くしてる悪習に見えます。少なくとも私には。



尊敬できる素晴らしい人ならば性別なんて関係ないし、逆に同性だからといって、
それだけで異性より自分のことを理解してくれるなどとも思っていません。
人間同士のつきあいなんだし。



よって、ワタクシ的には、身体的接触がない限り、基本的には何しようが構いません。
もちろん、自分の恋人が他の異性とドッキドキLOVEメールしてた場合などは除いてですが。
つか、それはもう「浮気」とは呼びません。その段階で私は事実上「フラれて」ます。
接触のない浮気行為=「精神的浮気行為」って、もう既に浮気の域を超えてると思うし。






但し、そういった異性の友人との行動を隠されるのだけは勘弁。
別に悪いことしてる訳ではなくて、男女の別に関わらず友人関係を
ずっと続けているというのは、むしろ素晴らしいことなのだから、
堂々と話して欲しいと思います。
隠されると、「この人にはやましい所があるのか?」などと、
逆に疑心暗鬼になってしまいそうな気がする。



自分の恋人が、別の異性と酒飲もうが、カラオケ行こうが、泊まりに行こうが、
二人でフロにでも入ろうが(でもさすがにそれはないかも・・・)、私は別に構いません。
コレを言ったら周囲からはブーイングの嵐でしたが、友情に男も女も関係ない、と
いうのが私の自論なので。我ながらクサいこと言ってますが。


でも、それを隠されるのは絶対に嫌だ。
それは「どれだけ相手を信頼できてるか」の問題だと思うから。









・・・さて、ちなみに、もしも私が女子だと仮定して
この「身体的接触」基準を適用した場合、
私の彼氏さんには面白い制限がされることになります。









すなわち、基本的に風俗関係はクロなのですが、
AVやらストリップなんかは、どれだけハマってもシロになるのでした(笑)。












5.7 wed.

ふとしたきっかけで、音大に通っております。



いや、別に自分の社会学的知識の乏しさに絶望し、子供のころからの夢であった
クラリネット奏者を目指して一念発起・・・した訳ではありません。
ホントにふとしたきっかけで。もちろん自分の「社会学」のお勉強の一環として。






さて、フツーに平凡でありきたりかつ山なし谷なしの人生を送っている 人にとっては、
音大ってまさに未知の世界でしょう。
そーゆー自分も、もちろん音大は初体験です。






まず一般の大学と違うところは、当たり前ですが、その女子率の高さ。
女子大ってわけではないので男子学生ももちろん見かけますし、
それがまた一種独特の雰囲気を醸し出しているわけですが、
とりあえず学生の圧倒的大多数はオナゴであるとみてよいかと思います。






でも、ただ女子率が高いというだけでは、この妙な感じは表現できませぬ。
何か、筑波大学にも共通する、一種独特の空気感というかなんというか。



そこで考えました。この「音大感」とでもいうべき独特の感覚は
どこから生まれてきているものなのか。






茶有仮説としてまず一番に考えられるのが、女子率の高さに対する
カラーリング率の低さへの違和感。
そして、カラーリング率の低さに対するパーマ率の高さのアンバランス。


10代後半〜20代の日本人女性が集まったとき、その「髪の黒さ」に
違和感を覚えるというのもおかしな話ですが、でも実際問題として、
直感的な感覚として、そう感じてしまうのだから仕方ない。



要するに、こんなにも女子大生が集まっているというのに、
まったく髪を染めていない(であろう)ヒトが多すぎるのです。
これは、これまたふとしたきっかけで通っている青山学院大学の
女子学生における染髪率と比較すると、その差は歴然。
(青学はほぼ100%に近い・・・ような気がする。茶有フィールドワークによれば)



その違和感に拍車をかけているのが、黒髪パーマ率の高さ。
確かに都内の一般的私大に比べれば、筑波大の黒髪率も相当なものでしょう。
しかしながら、このパーマ率はやはり独特のもの。



おそらく本番演奏時のスタイルに合わせるとこうなるのでしょうが、
普通の日に、フツーの服着た、黒髪パーマの女性がこれだけ集まると、
やっぱりそこはかとなく「音大感」が生まれてきます。






さて、“音大感”とでもいうべき独特の空気をつくっているもの其の二。
それは「男子コミュニティの少なさ」。
男子が少ないんだから当たり前といえば当たり前なのですが、
私が見る限り、純然たる男子コミュニティはほぼ皆無に近い状態なのです。



比率的にどんなに小さくても、複数の男子が学生として在籍している以上、
いやその数が少ないからこそ、男子コミュニティはかなり濃密な人間関係として
存在するのが普通のような気がするのですが、男同士で講義を受けたり、
メシを食べたりしている光景がまったく見られないというのは、
音大以外の大学を出た私にとっては非常に奇妙な光景。



但しその「男子コミュニティが形成されない」理由は、
おそらくぱっと見で判断できてしまうほど単純なものだと思われます。
一言でいえば、「男子はすぐに売れてしまうから」です。






男女比のバランスが著しく偏っている音大内は、
男の圧倒的な売り手市場(買い手市場?)になっています。
田島陽子を恐れずに言えば、男子学生に対し女子学生は供給過多の
状態にある訳です(もちろん女子に対する男子の供給過少でも同じこと)。



つまり、少ない男子は早々に女子と「くっついて」しまうが故に
男子同士の濃密なコミュニティが形成される余地がない、ということ。


講義を見ていると、カップルで受講しているパターンが非常に多いのに驚かされます。
対して、男子が一人で講義を聴いている、というパターンはほとんど私だけの状況。



理系学部によく見られる「女子の圧倒的な売り手市場」と逆の環境を
イメージしていただけると分かりやすいかと思われますが、
それでもそれなりの女子コミュニティを形成しようとする理系学部の女子に比べ、
ここの男子には男子コミュニティ形成の兆しがまったく見受けられないのが
不思議なところ。これも「音大感」醸成に一役買っているのは間違いないかと思います。






オトコの立場からしてみればこの上なくうらやますぃ環境ですが、
まあ、そもそもの男女の人口比が狂っているわけで、自由市場における
需要と供給の関係を考えれば、まあ当然の成り行きかな、という気もするのですが・・・






・・・ちょっと待って。じゃ、中学−高校と一番多感な時期を
相当なオナゴ社会の中で過ごしてきたにも関わらず、
おいしい思いはほぼ皆無に近かった自分って一体・・・?






これ以上考えると虚しくなるので、この辺にしときますわ。とほほ。






何はともあれ、異世界です。私立だけれど国立音大(笑)。













[PR]動画