ひとりごと
〜2002.July〜

ファイト!闘う君の唄を、闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を、ふるえながら上ってゆけ

(中島みゆき 「ファイト!」 より)


7.26 fri.


私の勤める会社は明治生まれです。
明治といえば、偉大なる東郷平八郎海軍大将が、世界最強と謳われた
ロシア・バルチック艦隊を撃滅する大活躍を見せていた、あの時代です。
21世紀になり、海軍の主役も戦艦「三笠」から、いつの間にか原潜「シーバット」に
変わってしまいました。そんな中で、よくもまあしぶとく生き残ってきたもんです。


もちろん、ここまでしぶとく生き残ってこられたのは、やっぱりそれなりの理由があるわけで、
資本主義市場の中に生きる私としては、そういった点は嫌でも評価しなければなりません。
不正会計しようが、ハゲオヤジに利益供与しようが、ライバル会社に金払って入札止めさせようが、
辞職して退職金もらって再出馬しようが、強い奴しか生き残れないのです。この世の中では。




ただ、いくら護衛艦「みらい」まで昭和初期にタイムスリップしてしまうこのご時世とはいえ、
あまりにも前近代的な職場習慣は、ちょっとどーかと思ってしまうわけですよ。ワタシとしては。




・・・よーするに、誰もマジメにやっていないのに、毎朝8時55分になると、
オフィス全館でラジオ体操のテーマが高らかに鳴り響くのは、いかがなものかと。




いや、いい会社なのですよ。基本的には。一応フォローしときますが(笑)。







7.20 sat.


約2週間ぶりの更新となりました。
相変わらず仕事もせず、無駄メシ食いやってる茶有でございます。
皆様に、謹んで暑中お見舞い申し上げます。


…と、今年もweb暑中見舞いで済まそうなどとゆー不届きな考えはおいといて。


果てしなく続く新入社員研修。さすがに私も飽きてきました。正直言って。
周囲の同期たちはもうバリバリ動いている(もちろん雑用)のですが、
なぜか私の配属された部署だけ、研修が8月まで続くのです。
「今日も終電なんだよー」と嘆く友人を尻目に、とっとと退社して
ネット喫茶でくつろいでる自分。


今、ラクであればあるほど、後が怖いですな。あんまり考えないようにしてはいるのですが。





さて、そんなこんなで他の同期に較べれば楽な生活を送っている茶有ですが、
別に毎日6時に退社してネット喫茶に入り浸っているわけではありません。
研修中とはいえ、そこそこ残業代ももらえる程度の仕事は毎日こなしております。
部屋に帰るのは、平均して10時くらいでしょうか。
これでも、同期に聞かれたら殺されかねないほどの早い時間なのですが。


朝は結構早い時間に出発しているので、当然、大学時代に較べて睡眠時間は激減しました。
帰った後は、本を読む気力もテレビを見る気力もなく、ただ風呂に入って寝るだけの
毎日を過ごしております。ホント、漫画に出てくるサラリーマンのような生活。
いや、実際、サラリーマンなんですけどね。





何か、以前にもこんな生活パターンを経験したことがあるなと思っていたら、
今からほんの少しだけ昔。私がまだ高校生だった頃の生活も、
こんな感じだったことに思い当たりました。


私の通っていた高校は家から遠かったため、
帰った後はとにかく睡眠時間を確保するので精一杯でした。
あの時の「帰ったら寝るだけ感」に、何となく似ているのです。今の生活が。





但し、当時の生活と今の生活には、大きく異なる点が一つあります。


それは、「生きる楽しみを持っているか」ということ。


当時、私は放送部に所属しいて、放課後になると毎日のように放送室にこもっては
作品製作に没頭してい(るフリをして、ただ友人たちとだべって)ました。
その時の私には、放課後、放送室で過ごす2時間が何よりの楽しみで、
その時間のために学校へ行っていると言っても過言ではないほどでした。
もちろん、勉強なんて部活のついででした。今だから言えることですが。


他人から見れば大したことない2時間なのですが、
私にとっては、その2時間が生きる上での最大の楽しみだったのです。
だからこそ、あのしんどかった高校生活にも耐えることができたのでしょう。
今になっても、しみじみと思い出すことができます。





今、自分が最も恐れているのは、このまま「楽しみ」を
見つけることができずに毎日が過ぎていってしまうことです。
「仕事が生きがい」と胸を張って言えるようになれればよいのですが、
いつそんなこと言える日が来るのか、現段階では見当もつきません。


朝起きて、仕事して、帰って寝るだけの毎日。
単調な、張り合いのない生活は、私が最も忌み嫌う日々の過ごし方でもあります。
ただ、早く見つけなきゃと思う反面、心のどこかで、社会人なんてこんなもんかな、と
半ばあきらめモードになっている自分がいます。


このままだと、自分が一番なりたくないと思っていた
社会人像そのままの人間になってしまいそうなので、
自戒の意味も込めて。







…とゆーのは後付けの理由で、何となく暑かったので、
近くのプールに泳ぎに行ってきました。
明日から、全身筋肉痛決定です。







7.3 wed.


最近、思うこと。
不快指数150って、人間の生活可能圏内を超えてると思う。


もひとつ、思うこと。
ジーコが日本代表監督になったら、やっぱりチーム名は
「FCジーコさんズ」になるのだろうか。


…それはちょっとイヤかも。いやマジで。




冗談はこのくらいにして、最近、本気で思うこと。
Negative Thinking(=マイナス思考)の人へのPositive Thinking(=プラス思考)化の
ススメってよく言われていることだけれど、それって実は恐ろしいまでの
社会的画一化圧力のような気がしています。


例えば、ここにマイナス思考のAさんがいたとします。
Aさんは、平均値に比べると、腰回りがほんの少し太めでいらっしゃいます。
口の悪い方であれば、「デ○」と表現するかもしれません(差別的意図は一切無し)。
さて、悩んでいるAさんに対し、プラス思考のB君が、Aさんに対してこう言いました。
「『ぽっちゃりしていてかわいい』って考えるようにしなよ」と。


一見もっともらしく聞こえますが、実はB君の言葉には矛盾があります。
この言葉には、最も重要であるはずの「Aさん=マイナス思考者」という大前提が
完全に抜け落ちているのです。



マイナス思考者がマイナス思考者たる所以。
それは、「プラス思考ができない」点にあります。
つまり、マイナス思考者に「プラス思考者になれよ」というのは、
私に「まずいラーメンだって、気の持ちようではうまく感じられるようになるんだよ」と
言うのと同じくらい、当たり前かつ難しい訳です。


「うまい・まずいは気の持ちよう」なんて、そんなこと、言われなくても分かってます。
不快指数150の中、歩きに歩いてやっと見つけた有名ラーメン店。
そして、そのラーメンがまずかったときのあの絶望!
自分の気の持ちようでそれを何とかできるのであれば、そんなんとっくにやってます。
どうしてもそれができないから、私は苦しむ訳で。




こう考えると、B君の言葉には、実は恐ろしいまでの圧力がかけられていることに
気づくでしょう。つまり、「『ぽっちゃり』と考えろ」とは、裏を返せば「デ○」の存在の
全否定に結びついていってしまう可能性があるのです。
B君の行為は、<『ぽっちゃり』=良いイメージ 『デ○』=悪いイメージ>という
悪しき固定観念を強化しかねないようなレッテル張りに他なりません。本人は無自覚ですが。
当然、『デ○』を『ぽっちゃり』であると捉えることのできないAさんは、B君のこの言葉によって
ますます苦しむことになります。


要するに、「マイナス思考はいけない。みんなプラス思考になれ」という、
ある種の圧力が社会全体にかけられていて、その狭間でマイナス思考者は苦しんでいる訳ですな。






マイナス思考者に対してかけるべき言葉は、「プラス思考になれ」ではなく、
むしろ「マイナス思考のままでいいんだよ」という一言のような気がして、なりません。




…プラス思考とゆーより、「徹底的に落ち込む→開き直る」型思考のワタクシ。
私自身、こういった説に確証がある訳ではないんですけどね。





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