ひとりごと
〜2001.October

貧しさに耐えながら日の丸弁当持って
国を信じて 国を愛して 人々は戦ったのに

(鈴木彩子「国民は立ち上がらない!」より)



10.25 thu.

昨年の10月10日に開設してから約一年。
すったもんだありましたが、去る24日、このSay Hello to Max Weber! への
来訪者がついに1万人を突破いたしました。激しく延べ人数ですが。
本当、今さらながら、世の中いかにヒマ人が多いかを痛感いたしました。


ラーメン好き、日本映画好き、インディーズ音楽好き、でも朝日新聞嫌いなラディカル右翼、という
何だかよく分からないワタクシ管理人ではございますが、ここまで来ることができたのも、
ひとえに池脇千鶴様あってのことでございます。
また、日頃から辻希美様にも格別のご愛顧を賜っておりまして、お二方に対しましては、
この機会に、改めまして深く御礼申し上げたいと思います。
他の人?そんなの知りません(笑)。


さて、皆さんお気づきのこととは思いますが、今回10000hitsを記念しまして、トップページを大幅に
リニューアルいたしました。従来のものは「目が疲れる」という多くの批判をいただいておりましたので、
今回は「目にやさしい」をコンセプトに、筑波山の雄大な自然の緑をイメージして作り上げてみました(ウソ)。


また、これに伴い、サイトを全面的に構造改革いたしました。
大不況に打ち克つために、トップと末端の間に位置する中間管理職的なページを大幅にリストラし、
利便性の向上とサイト容量という財政的な問題の解決を目指しました。
また、大規模な企業合併が進む昨今の市場環境を踏まえ、リンクのコーナーを大幅に拡充。
新しい21世紀型茶有ネットワークの構築を実現することに成功いたしております。


不採算店舗の一つであったCharlie,my love-moviesのコーナーは、当diaryのコーナーに
店舗統合させていただきました。これにより、邦画という従来の枠にとらわれず、また迅速に、適確に
皆様に映画情報をお伝えすることが可能になるものと確信しております。
長らくのご愛顧、ありがとうございました。


当Say Hello to Max Weber! では、池脇様および辻様により一層お喜びいただけるサイト作りを目指し、
努力していく所存にございます。お気づきの点などございましたら、どうぞお気軽にご意見をお寄せくださいませ。





10.20 sat.

「かもしれない運転」という言葉をご存知でしょうか。
免許を持っている人は、おそらく教習所でしつこいほど聞いたことと思います。
車の運転は、「対向車は来ないだろう」「歩行者は飛び出してこないだろう」といった
自分勝手な憶測に基づいて行うのではなく(これを
「だろう運転」といいます)、
「対向車がくるかもしれない」「歩行者が飛び出してくるかもしれない」というように、常に危険な事態が
起こることを想定しつつ慎重に行わなければない、と教習所では教わるのです。


しかしながら、最近運転してて(といっても原チャですが)思うこと。
例えば、自分が優先道路を走っているとします。
前方のT字路で、細い路地からおばちゃんの乗った軽自動車が、こちらの大きい道路に出る機会を窺っています。
このとき、優先道路を走るドライバーの多くは、次のように考えるのではないでしょうか。



「・・・飛び出してくるなよ!」



いや今日、知らず知らずのうちに自分がこう考えていることに恐怖感を覚えてしまったのです。
「くるなよ運転」。何て恐ろしい響き。





そういえば思い出しました。以前、車好きの知人が、運転中楽しそうにこんな話をしていました。

青信号:進め
黄信号:注意して進め
赤信号:車が来てなければ進め

という信号の定義はよく言われる話ですが、彼によると、信号の定義とは

青:進め
黄:急いで進め
赤:チャレンジ!

なんだそうです。




・・・生きててよかった。自分。
ドライバーの皆さん、くれぐれも安全運転を心がけてくださいね。
全国の原チャリユーザーは、毎日死と隣り合わせの恐怖を感じながら、2段階右折をしているのですよ(笑)。





10.13 sat.

久しぶりに、私の人生を変えた(かもしれない)愛読書、「銀河英雄伝説」を読み返していたら、
なぜか若かりし頃の自分を思い出してしまいました。

といふ訳で、今日はちょっとだけセンチなお話を一つ。




中学生の頃、私はブラスバンド部に所属していました。
パートはパーカッション。今の私を知る人からは想像も出来ないことかもしれませんが、
ドラム叩きだったのです。オイラはドーラマー。やくざなドーラマー。


さて、時はウン年前、まだ私が初々しい中学一年生だった頃までさかのぼります。
当時のブラス部は部員60名という大所帯だったにもかかわらず、顧問が全く機能しておりませんでした。
知識がなかったのかやる気がなかったのか定かではありませんが、練習にも全く顔を出さなかったのです。
従って、練習メニューの組み立てから予算の管理から実際の指導に至るまで、部の運営は
全て3年生によって行わなければなりませんでした。


当然、執行部に入った3年生はもう大変です。場合によっては練習そっちのけで運営に関する雑事を
こなさなければなりません。特に部長職は、実際みんなの前に立って指揮をしながら
各パートに適切な指示を与えなければならず、音楽的なセンスも求められていたため、
小学校を卒業したばかりの私たち1年生は、部長を尊敬すること神の如し、でした。
もちろん、全員がそう思っていたわけでもないでしょうけれども。


さて、私が1年生の時の部長はT先輩といって、楽器は私と同じパーカッションを担当していました。
つまり、私にとっては、全員で演奏するときの指導だけではなく、個人練習のときなどにも
いろいろと指導をしてくださる、いわゆる「直属の上司」だった訳です。
ほんわかした感じの喋り方をする割には、とても中学生とは思えないほどしっかりとした
(ように当時の私には見えた)先輩でした。
そのくせ、普段私たちに接するときは、いたずら好きの子供のように冗談めいた発言を連発しては、
われわれ下級生を困惑させるのでした。


さて、私たちのブラスバンド部の練習メニューは、一般的には、
基礎体力作り→個人練習→パート練習→全体練習といった流れで毎日行われていました。
しかしながら、私たちパーカッションパートは自分たちだけでは曲に合わせることはできないため、
パート練習の時間というのはほとんどありません。つまり、他のパートに較べて
個人練習の時間というのが極めて長いのです。


全体練習の際のT先輩はといえば、正直、結構厳しいものがありました。
やはり物腰は穏やかで決して怒鳴ったりはしないのですが、指示は適確で、しかも何度もやり直しを要求します。
難しい部分にもなると、それはもう各パート真っ赤な顔で演奏に臨んだものでした。


では、個人練習の時間はどうだったのかといえば、信頼してくれていたのか、放任主義なのか、
演奏に関することはほとんど何も言いませんでした。もちろん分からない所があれば、聞けば
丁寧に教えてくれるのですが、あまり厳しく細かく私たちに指示を出すことは皆無だったのです。


では、個人練習の時間(他のパートがパート練習をしている時間)、私たちは何をしていたのでしょうか。
もちろん練習はしていました。しかし、そんな何時間も一人黙々と太鼓なんて叩けるもんではありません。
私たちパーカッションの人間は、自由に練習し、自由に休憩し、自由におしゃべりをすることが許されていたのです。


何せ女性ばかりの大所帯。上下の区別は厳しく、他のパートは1年生が休憩時間を自由に取ることなんて
絶対にできません。中には、夏場、練習中に水を飲みに行くことすら禁止されていた
体育会系なパートだってあるのです。しかし、そんな他パートを横目に、私たちはしょーもないお喋りに
花を咲かせることがしばしばありました。もちろん練習は練習としてきちんとこなした上で、ですが。
私は自分のパートが大好きでしたし、そんな一見まじめ(いや、実際真面目な人なんですが・・・)、
でもそれとなく破天荒なT先輩に、憧れと尊敬の念を抱いておりました。


今でも忘れられない思い出があります。3年生最後の大会である秋の演奏会が間近に迫った
土曜日の午後。さすがに私も気合が入っていました。個人練習の時間、楽譜をにらみつつ黙々と大太鼓を叩く、
そんなことを数時間も繰り返していると、ふとT先輩が、パートの1年生に声をかけました。


「少し、休憩しようか」


そして私たちは、何故かじゅうたん張りの視聴覚室へと連れて行かれ、そこでぼんやりと休憩時間を
過ごすことになったのです。
視聴覚室は3階の西側にありました。晴れた秋の夕方、まぶしいほどの西日が印象的でした。
T先輩は言いました。


「・・・・・・何か、眠くなってこない?」


・・・そして、我々パーカッションの4人は、視聴覚室の床に寝転んでみんなでお昼寝をすることになったのでした。
私は、ぽかぽかと陽だまりの温かさにつつまれながら、演奏会後にやってくるであろうT先輩との別れを想像して、
泣きたいほどの寂しさを覚えていました。






その後、T先輩は地元Y高校へと進学していきました。
先輩は卒業してからもちょくちょく部室へ遊びに来てくれていたのですが、私が卒業し、
県外の高校へ通うようになると、もう遭う機会もなくなってしまい、高校1年のとき、
Y高校ブラス部の定期演奏会(=T先輩にとって最後の演奏会)に
花束を持っていったのを最後に、私とT先輩のつながりも無くなってしまいました。




時々、ふと今頃T先輩はどうしているのか、思うことがあります。
おそらく働いてらっしゃることでしょうし、ひょっとしたら結婚なさっていているかもしれません。
会いたいような気もしますが、多分に美化された昔の思い出。
このままそっとしておいた方が、おそらく賢明なのでしょう。




誰にでもあるであろう、でも、今思い出しても、ちょっと切ない思い出です。




・・・・・・え?何で「銀英伝」を読んでこの話を思い出すのかって?
いや、ラインハルトとアンネローゼの描写を見てたら・・・ちょっと・・・ね(笑)。






10.10 wed.

今日は何の日かご存知でしょうか?

そう、言わずと知れた、旧・体育の日です。
「体育の日」。東京オリンピック開会式を記念して作られたはずのこの祝日も、
いつの間にか「10月の第2月曜」という何の記念日なんだかよく分からない祝日になってしまいました。
「春分の日」、「秋分の日」に続いて、何を祝う日なのか意味不明です。
もちろん、意味不明といえば「みどりの日」、「海の日」も負けてはいませんけれども。

ちなみに、昭和天皇があと2日遅く生れていれば、「みどりの日」は5月1日になっていました。
え、何が言いたいかって?いや、だから、「五月」の「みどり」の日・・・・・・(検閲済み)




・・・さて、旧・体育の日は、腐っても「国民の祝日」なのでみなさんご存知のことと思いますが、
その他にも10月10日はたくさんの記念日指定を受けております。私が勝手に指定したものもありますが。


例えば、「目の愛護デー」。10という数字を90度倒すと眉毛と目の形に見えるからだそうですが、
これが目の形に見える人は偉大です。自分の目を精密検査してもらうことをオススメします。


「千住の日」。1010ですから(笑)。東京以外の人は(笑)と言われても笑えませんが。
ちなみに、超・目の愛護デー方式で180度回転させると、「丸井の日」になります。
丸井千住店が現在建設中ですが、開店した暁には10月10日はさぞかし盛大なバーゲンが行われることでしょう。


「TOTOの日」。これは重要です。TOTOがなければ、私たちは用を足すことが出来なくなってしまうのですから。
「INAXがあるからいいよ」とか言ってるあなた。申し訳ございませんが、あなたは非国民です。
当サイトへの出入り禁止処分とさせていただきます。
日本のお手洗いを支えてきたTOTO
(本社・福岡)に、私たち国民は深い感謝を捧げなければならないのです。




で、つらつらと書き連ねてきてしまいましたが、結局私は何が言いたかったのか。分かった人はBBSへ。
正解者の中から先着一名様に、あなたの人生を変えるかもしれない
"Say Hello to Max Weber" 開設1周年記念タオルをプレゼント。




・・・ファイナルアンサー?







10.9 tue.

おかげ様で、無事、学園祭も終了いたしました。
案の定、今年のteamSALT作品「ウグイスダニ」は、これまでとはかなり違った雰囲気で、
初めから一般ウケを狙わずに自分の趣味趣向だけで作ったため、
上映会後のアンケートにも「難しい」「分からない」といった意見が寄せられていました。


今回、これまでに作ってきたとっても分かりやすい茶有色全開のドラマやドキュメントから
あえて一線を画してみたのは、最後に自分の「凝った映像を作りたい」という欲望を満してやろうと思っただけです。
かなり荒んだ雰囲気で救いようのない話が展開されましたが、それも単に自分のイメージを映像化する上で
最低限の設定が必要だったというだけのことで、決してあの作品が現在の私の心理状況を反映している訳では
ございません。・・・つーか、やばいです。あの作品が今の私の象徴だとしたら。死んでしまいます。即刻。
常磐線止めてしまいかねません。冗談抜きで(笑)。


ただ、その一方で「きれい」といった好意的な感想を寄せてくださったお客様もいて、嬉しい限り。
特に、「切ない」という一言だけがポツンと書かれたアンケート用紙を見たときは、思わずニヤリとしてしまいました。
そうです。その一言を言っていただきたくて、私はこの作品を作ったのです。
teamSALT一同(1人しかいませんが)、感謝・感激・雨・アラシでございます。
その他、たくさんのお客様に観に来ていただいて、予期せずたくさんの貴重なご意見をいただくことができました。
本当にありがとうございました。


私は基本的に観て下さる方々からのレスポンスが欲しくて、映像作品制作などという地味でオタク的な作業に
7年間も没頭してきた訳ですが、今回始めて自分の素直な表現欲求をぶつけてみました。


自分には「自分が新しい表現を切り開く。テメーらついて来やがれ」と豪語できるだけの才能なんてないけど、
基本的に「一般ウケを狙わない」作品制作は、それがある人しかやってはいけないことだと思ってます。
もしくは同人誌的なノリで、初めから不特定多数の人に観てもらうことを前提としないで自慰行為をするか。
私の場合は、たくさんの人に観てもらいたかった。その思いが、この7年の唯一かつ最大の原動力でした。
そしてたくさんの人に観てもらうためには、単に自分の思いをぶつけるだけではダメで、どうすればそれを
受け止め、あわよくば投げ返してもらうことができるのか、それを常に考えざるを得なかったのです。
いろいろと失敗はありましたけど。ええ、それはもうたくさん(笑)。


芸術化肌の人から見ればそれは「迎合」に見えるかも知れないけれど、ちょっと違います。
それはスタンスの違いであって、私にとっては、観てる人に喜んで(怒って、哀しんで、楽しんで)もらえることが
一番嬉しいことなんです。だから敢えて(というより、自らすすんで)分かり易さにこだわってきました。、
表現という場において、どんな批判があったとしても、それは必要なことだと思うし、
卒業後も、そういった資本主義的・商業主義的な世界で生きていこうと思っています。


でも、大学4年生という今だからこそ、最後に二度とできないようなこと、すなわち、受け手のことを全く考えない、
送り手の完全に自己完結している妄想を映像化し、送り出してみようと思いました。




で、やってみての感想は・・・やっぱり楽しかった。正直、ハマリそうになるくらいの快感がありました。
でも、自分みたいな人間が、この快感に負けたら終わりですね。
今回は「同人誌を軽い気持ちでコミケに持ってったら、たまたま前を通った可愛いレイヤ−に気に入ってもらえた」
だけのことですし。
人に見せるものを作る以上、「軽い気持ち」なんて許されません。ましてそれでお金をもらおうとするならば。




やっぱり、どんなに気持ちよくても、自分には自己の快楽のみを追及していくという生き方はできません。
teamSALTの由来にもなっているサルのマスターベーションは、これにて完結です。






最後にもう一度、観に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。






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