ひとりごと
〜2001.August

田中さんはたまに怒るんだ、苦い味のままにするなって。
田中さんはそして話すんだ、それはそれはいいことを。
田中さんは、何があってもしっかり見つめてる。
田中さんは、小さいけどたくましい、頼もしい、クマです。

(空気公団「田中さん、愛善通りを行く」より)


8.25 sat.

私の愛機、タカギ君(高木産業製 PURPOSE PNW C‐500)が不調です。
一度は「ビー」というものすごい悲鳴をあげて息絶えてしまったのですが、
2週間ほど安静にした結果、復活いたしました。
で、現在のところ何とか正常に動いております。全体的に少し重くなったような気はしますが。
ただ結局、故障を修理した訳でもないので、今後症状が再発する可能性も大いにあります。
突然更新がストップしてしまうこともあるかも知れませんが、怒らないで下さいね。
・・・まあ、怒られる筋合いのことでもないのですが。いやいや、そこはファンに優しい茶有ですから(笑)。



先日ゼミ合宿に行った際、他のゼミ生達と「男と女」について6時間も(もちろん社会学的に)語り合ってきてしまいました。
実は、その前日にも地元の友人と同じテーマで夜通し喋ってたんですよね。
草津の湯でも直せぬ程の永遠の難問だし、そんな簡単に理解できるものではないということは分かっているものの、
「ナゼ男は彼女がいてもエロ本を観てしまうのか」などというしょーもない問題一つ有効な回答を見出せない
社会学という学問に、正直限界を感じてしまいましたね。ワタシは。
・・・単純かつしょーもない問題を複雑怪奇にする学問こそが社会学である、と言われれば、その通りなのですが。


それにしても、学者と学生10人近く集まって、(もちろん男女問わず)エロ本について真剣に考えている構図・・・
知らない人が見たらさぞかし不審者の集団だったことでしょう。


でも、世界最古の商売は売春だ、という説もあるくらいですし、資本主義について研究していく上で、
やっぱり避けては通れない問題なんですよね。男と女の問題って。


消費社会においては、人々の欲求に対してシステムがモノを生産し、供給するのではなく、
システム自身が人々の欲望を作り出し自ら供給していくというシステムの無限的自己増殖が行われます。
ということは、現代資本主義社会では、男の本能が生み出していたと思われるエロ本や風俗への欲求も、
実は資本主義というシステム自身によって作り出されていたということになるのです。
そして、進歩性という概念を持たず無限に循環していくエロ本が持つのは、機能-非機能軸および
意味の連関性とは別の次元に存在する、極めて「空虚な」価値、すなわち夢幻的価値なのでした。


しかしながら、資本主義社会は異なる文化を接合し、新たな文化を作り出す文化生産性を有しています。
例えば近い将来、ネットを利用して限りなくホンモノに近い性体験を行うことができるヴァーチャルシステムが
生まれ得ないとも限りません。それこそ、アダルトビデオおよびネットという既存の表現媒体が
資本主義を媒介として結びつき、もちろん従来の二者はそれぞれの方向性を持って存続しながらも、
第3の媒体が新しいベクトルを形成するという文化的領域における接合が起こるわけです。
そして、これら要素の接合は資本主義システムの意図を超えたところで展開され、
その後も自己変革を続けていくのです。資本主義に対抗する訳でもなく、吸収される訳でもなく、
ただ「エロ」という本来の表現目的を遂行するためにシステムの網を潜り抜け自己変革を続ける
このエロ文化生産メカニズムを、果たして「空虚」の一言で切り捨てることができるでしょうか(反語)。






・・・卒論中間発表をやってから、頭の中がもう完全に資本主義なの。消費社会なの。超機能なの。アウラなの。
どーか許してやってください(笑)。




ちょっと煮詰まってきたので、余裕のあるうちに、旅に出ます。来週から。徳島ラーメン食べてきます。
社会学のことは一切忘れて、無限的空間性への欲求充足行動に身を投じようと思います(笑)。








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